いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

私は優しく食べてるから

娘がテレビを見て「かわいそう」と呟いた。

 

魚が捌かれる映像が流れていたのだ。いや、君もお魚好きで食べてるでしょ、と私と妻がいうと、タイトルのような答えが返ってきた。

 

「わたしはやさしくたべてるから、いいの」

 

子供らしい、自由奔放な表現に場が和んだ。優しくってどうやってと尋ねるが、抽象的な概念でうまく捉えきれなかった。ようするに、魚に対して優しく労わる気持ちを持って、彼女は食べているのだろう。

 

テレビの映像はさらに続く。娘はどんどん気の毒に思えてきたようだ。「あのおサカナにだって、パパとママがいるだろうに…コロしたらかわいそうだよ」。たしかにそうだ。人間が食べたいからって理由で、いきなり殺されている魚達が不憫でならない。

 

ただあまり魚に感情移入しすぎて、娘が魚を食べれなくなったらいけない。私と妻は言葉を尽くして諭そうとした。お魚さんの命をいただくんだからこそ、たくさん感謝して、美味しく味わって、残さずに食べることが大事なんだよ、と。

 

すると、娘は思いついたように声を上げた。

 

「そうだ!カミサマに『たべたいから、ごめんなさい』って、あやまっとけばいいんじゃない?」

 

神様に赦しをもらう。キリスト教系の幼稚園に通っている娘らしい発想だなと思った。なんにせよ、子供の感受性は面白いなと再確認。仕事の合間に癒された。