いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

楽しい仕事だ

仕事が楽しいと感じた。

 

そんなことはどれくらいぶりだろうか。月曜時点ではまったく作れる気がしなかった資料が、本日とりあえず一式出来上がった。

 

しかもただ完成しただけでなく、内容に対しても自分なりの納得感を抱けている。着手する前は、そのようなレベルにまでもって来られるなんて到底思えなかった。なんとか形は作るものの、半信半疑で説明を行うイメージしか湧かなかったのだ。

 

資料が出来つつあるのはもちろん私ひとりの力ではない。そのほとんどを私が作成したものの、その途上においては、同僚や上司とのディスカッションを経て、多くの気づきや助言を頂いた。

 

それでも、自分の手で、わずか三日でこれだけの内容を、自分が納得できる形で纏められたことには、素直に手応えと成長を感じてしまった。少なくとも前職時代の私には到底できない芸当だ。もっと言えば先週時点の私にもできなかっただろう。

 

絶望を覚えるほどの難解な課題に対して自分なりの答えを出し、それを相手に明確に伝えるために創意工夫を施しながらに資料を作る。とてもハードでプレッシャーも大きい仕事だが、そのぶん、光明が見えたときの嬉しさは格別である。

 

逃げ出さなかった自分、もがきながらもなんとか答えを見つけられた自分が少しだけ誇らしく思えるし、前よりも好きになれる。

 

楽しい仕事だ。

 

昨日は「大変な仕事だ」としか思っていなかったので、我ながら調子のいい奴である。きっとまたプレッシャーが押し寄せれば逃げ腰にも弱気にもなるに違いないし、それはさっそく明日かもしれないのだ。

 

それでも、数日前まで表紙しかなかった資料が、拘り溢れる資料の束に生まれ変わったのを見ると、なんだかとても楽しい気持ちになる。自分がゼロから何かを生み出したアーティストのようにも思えてくるし、資料にはまるで作品のように安着が湧いてくる。

 

まあ、ただクライアントと議論をするための定例会の資料なのだけれど。これから毎週のようにそれを生み出し続けなければいけないのだけれど。

 

憂うからあまり先を見過ぎない。ささやかな感動は最大限享受する。今日の快感をまたひとつの糧にして、また明日も、自分のキャンバスの前で真摯に闘おう。