いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

最後の大君

フィッツジェラルドの『最後の大君』を読了した。

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こちらも図書館で借りて読んだ。村上春樹の訳すフィッツジェラルドの作品は、全て『村上春樹翻訳ライブラリー』シリーズで集めているので、その版が出たら改めて購入したい。

 

未完の作品というので期待せずに読んだのだが、なるほど、未完は未完なりの楽しみ方があるようだ。巻末に作者自身が書いたノート(覚え書き)が掲載されており、書かれた各章に今後どのように手を加えようとしていたのか、これからどんな章を書いて物語を閉じるつもりだったのかが見て取れる。

 

また作者が生前に送っていた関係者への手紙や、切れ端に書かれたメモの内容までもが総動員され、なんとかこの未完の大作がどのような小説となる予定だったのかを、我々にもわかるようにしてくれている。普通の小説なら読むことのできない、作者の狙いや文章において期待する効果までもが窺い知れて、もしかしたら完成品の作品よりも、作品のことを理解することができるかもしれない。

 

そして完成されなかったがゆえに、これが作者の狙い通りに完成させられていたら、とんでもなく素晴らしい作品になっていただろうと、思わされるのであった。まさに『逃した魚は大きい』であろう。

 

でもやはり願わくば、この作品は完成品を読んでみたかった。もしかしたら本当に『グレート・ギャッツビー』に勝るとも劣らない、世紀の大名作となるポテンシャルを有していたと、私も思う。

 

また、本作を原作としたドラマが、Amazonプライムのオリジナル作品として観られる。原作に大きく手を加えられ、ドラマチックな要素や設定を多数取り入れられているものの、人物が生き生きと躍動しており、とても面白かった。

 

残念ながらドラマの方も、シーズン1で製作終了となってしまったようだが、『未完』なところも原作通りということで、ある意味アリではないかと思ってしまった。シーズン1の最後でも一区切りはついているので、私としては終わり方に不満は抱かなかった。

 

今作で久々にフィッツジェラルド作品を読んだが、やはり彼の小説、文章は味わい深く、読んでいて喜びに包まれると再確認できた。次も彼の作品を読もう。