いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

無銭横町

西村賢太の『無銭横町』を読了した。
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引き続き西村作品巡りは続いている。出版順に単行本を読み進めており、今回は2015年出版作品。今作も私小説で、著者の分身である北町貫多を主人公とした連作短篇集である。

 

前作から時系列が続く物語も読め、ひとつひとつの話は面白く読めるのだが、ちと短編集としてはまとまりに欠く印象を受けた。複数の文芸誌に掲載された短篇の寄せ集めだから、仕方がない部分があることは理解するが、作中の時系列があまりにばらばらであるし、一冊にまとめる意図が感じられなかった。

 

いわんや、これは著者に対する批判ではなく、編集者および文芸社に対する非難である。作家として生計を立てるため、依頼に対してつどかくや面白い文章を生み出し続ける著者に対しては、その信頼を微塵も失っていない。

 

たしかこの前も同じような印象を持った記憶がある。そのときも今回同様、文藝春秋の本ではなかったか。同じ著者の短編集でも、私は新潮社の作品の方が印象が良い。次に借りている作品は新潮社のものなので、一冊通しての作品性という観点も意識しながら読んでみようと思う。

 

それにしても、表題作における貫多のその日暮らしの自転車操業っぷりには呆れる思いを抱いた。自身の懐事情も鑑みず、まずは考えなしに欲しいがままに行動し、あとになって自身で(そして近しい人達に多大な迷惑をかけながら)帳尻併せをするはめになるのだ。

 

そして特に反省もせずにその愚行を繰り返し続ける。このようにして貧困層が生まれるわけかと、ひとつの納得のいく事例が見られた気持ちになった。生い立ちや背景等、たしかに同情に値する点もあるのだが、結局は自業自得であり、気持ち一つで挽回可能な点をはぐらかすことなく、むしろ強調して書いている点にいつもながらに好感が持てるのであった。

 

引き続き、彼の生涯を辿っていきたい。