いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

白旗をあげたくなった話

昨日は定時で会社から帰り、娘とたくさん遊ぶことができた。

 

まずは、夕食前に2人でお風呂に入った。

 

娘は昼寝から起きたばかりで少し機嫌が悪かった為、浴室でシャボン玉遊びをすることにした。


まだ自分ではシャボン玉をつくることができなかったものの、娘は私のつくるシャボン玉を嬉しそうに追いかけていた。

 

シャボン玉を指でつついて、すべてを割ることに躍起になっていた娘。結局、シャボン液がなくなるまで私たちは夢中になって遊んだ。(シャボン液がなくなった後は泣いてしまい、身体を洗うのが大変だった・・・)

 

次は、夕食後にお絵描きをした。

 

アンパンマンミュージアムで購入したクレヨンを使い、画用紙に好きなように絵を描かせたのだ。クレヨンを与えて以来、娘はよく絵を描きたがるようになった。

 

また、アンパンマンの塗り絵用イラストも印刷し、塗り絵も一緒に楽しんだ。

 

もちろん、まだめちゃくちゃな色使いで、線も無視したデタラメな塗り方にはなるのだが、娘は一心不乱に鮮やかな作品をつくりあげていた。

 

その後は、最近名称がついた『ガオガオごっこ』をした。

 

両手をガオッと掲げた怪獣ポーズで、2人して部屋中を闊歩する遊びだ。

 

途中から私が娘を追いかけ、娘はきゃっきゃと逃げ回る追いかけっこへと発展する。これも娘が長らく大好きな遊びだ。

 

この遊びをすると、娘は腹をよじらせ大笑いしながら喜ぶ。それが嬉しいので、私も気合を入れて怪獣を演じきるのであった。

 

またその流れで『胴上げ遊び』もした。

 

娘の身体大もあるミニオンのぬいぐるみを、「せーの」で胴上げしてキャッチする遊びだ。

 

私はうまく胴上げができた娘とハイタッチをした。すると、娘は嬉しそうにママのところへも駆けていき、ママとも同じようにハイタッチをした。

 

以降は、胴上げをしようとするたびにママに「見てて」と言い、胴上げをするたびにハイタッチへと向かっていた。

 

“ママに見守られながらパパと遊ぶ”のが、娘にとって一番好きなフォーメーションなのかもしれない。そんなことを娘を見ていて感じた。

 

最後は、アンパンマン絵本を使い、キャラクター探しを一緒にした。

 

アンパンマンはどこにいる?」「じゃあ、バイキンマンは?」「しょくぱんまん」「カレーパンマン」「ドキンちゃん」「チーズ」「ホラーマン」「あかちゃんマン」「てんどんまん」「はみがきまん」「メロンパンナちゃん」「クリームパンナちゃん」「ジャムおじさん」「バタコさん」・・・。

 

数ページしかない絵本だが、その中にはキャラクターがぎっしりと描かれている。

 

私がキャラクター名を言うと、ものの数秒で見つけ出し指さす娘。いつのまにこんなにも名前を覚えたんだろう。私は思わず感心してしまった。

 

そんなふうに、昨日はいろんなことをして娘と遊ぶことができた。

 

そして遊びながら、私は白旗をあげたくなってしまったのである。

 

明日の朝、このことをブログに書くときに、この楽しさを余すことなく文章で書き表すことなんて、いまの自分には到底できるわけがない。

 

この幸福感を、100分の1も伝えることができないに違いない。

 

そのような、文章を書くことに対する降伏の念が、なよなよと湧き上がってきたのである。

 

心に抱いた幸せをありありと表現できるような、鮮やかに書き記すことができるような、そんな文章を、いつか書けるようになりたい。

 

そんなことを、昨夜の私は切に願ったのだった。

 

いまのところはとりあえず、この悔しさだけを書き記しておこう。