いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ど〜っちだ?

娘は『ど~っちだ?』ができる。掲げられた両手のうちどちらに該当の物が入っているかを当てるゲームだ。

 

正確に言えば、まだ完全に「できる」わけではないのだが、少なくともそのゲームの醍醐味を味わうことはできている。

 

昨夜も、寝る前に娘とそのゲームをして遊んでいた。

 

掴む物は、最近ガチャガチャで当てたバイキンマンメロンパンナちゃんの小さな人形。私はそれらを両手に握りしめ、どちらの手にバイキンマンが入っているかを娘に当てさせていた。

 

「こっち?」

 

娘は片方の手を指さす。私は少しもったいぶってから手のひらを開ける。そこにはメロンパンナちゃんが入っていた。

 

「あぁ~」と悔しがる娘。そしてすぐさま目を輝かせ「もういっかい」と要求してくる。私は再び背中に両手を回し、娘から隠れたところで両手の人形を持ち替える。

 

「ど~っちだ?」

 

「こっち?」

 

今度は見事に正解。娘は「あ、ばいきんまん!」と嬉しそうに声を上げる。そして続けざまに「もういっかい」とまた嬉しそうに言うのだった。

 

そんなふうにして、私は何度も「ど~っちだ?」を繰り返した。途中で気がついたのだが、娘は毎回同じ方の手しか指ささない。そのため私がどちらにバイキンマンを握るかで、ゲームをコントロールすることができた。

 

もちろん娘はそんなことには気づいておらず、私の手のひらが開かれるのを、毎回固唾を飲んで見守っていた。

 

途中、自分も問題を出す方をやりたいと言いだしたので、娘と役割を交換してみた。しかし、娘の小さな手には人形が入りきらず、当てっこゲームとしては成立しなかった。(そもそも出題者側のやり方を、娘はまだ完全には理解できていないようだ)

 

そんなわけで、ふたたび娘は回答者に戻った。

 

私はだいたい2回に1回くらいのペースで、娘の選ぶ手の方に正解のバイキンマンを入れた。そのため娘は2回に1回、残念がり、喜んでいた。

 

本気で残念がったり、喜んだりする娘。そのどちらの表情にも素直な感情が溢れており、とても愛おしかった。

 

ゲームをコントロールし、私は思うがままにその表情たちを引き出すことができる。しかも目の前の特等席で、娘の可愛い顔を拝むことができるのだ。

 

さて、次に見たい娘の顔はどっちだ?