いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

妻ノート

昨日は敬老の日の祖父母への贈り物を選んでいた。

 

結婚して以来、このような贈り物の対応は、毎年妻が率先して行ってくれる。

 

正直なところ、私は誰かへの贈り物を選ぶのが大の苦手だ。独身時代においては、こういう行為も数えるほどにしかやってこなかった。

 

そのため、今は妻がリードして物事を進めてくれるので(というか、そのほとんどをやってくれるので)大変助かっている。

 

母の日、父の日、敬老の日、お歳暮、それぞれの誕生日・・・考えてみると、そのような機会はとても多い。毎年毎年送っていると、贈り物のネタもさすがに尽きてくるだろう。

 

いいかげんな性格の私は以前妻に、毎年そんな律儀に贈らなくてもいいのでは、と提案したこともあった。

 

しかし妻は、独身時代ならともかく、結婚したらこういう親戚付き合いはしっかりしておかなきゃ、と、大人な回答で私を諭してくれた。

 

また、いつまで贈れるとも限らないんだから、できるうちは贈っておこうよ、とも言って、私を前向きな気持ちにさせてくれたのであった。

 

あとたしかに、そういうことを気にする親戚の人がもしもいた場合、その非難の目はどうしても妻の方に向いてしまうような気もする。妻の名誉を守る上でも、疎かにすべきではない行為なのだろう。

 

とは言え、毎年贈り物を選ぶのはやはり大変だ。

 

昨日も何を贈ろうかと悩んでいる中で、「ちなみに去年は何をあげたっけ?」という話になった。

 

すると妻は小さなノートを取り出し、パラパラとめくりだした。

 

覗いてみると、これまで結婚して以来の、誰かからもらった、または誰かにあげた贈り物の一覧が、びっしりと書き込まれていたのである。

 

何の名目で、誰に、いつ、金額はどれくらい、などなど。そのノートの存在はなんとなくは知っていたのだが、改めて見てみるとその情報量の多さにびっくりしてしまった。

 

我が家における円満な親戚付き合いは、この妻のこまめな管理と心遣いによって成り立っていたんだな。そのことを、昨日は改めて実感させられた。

 

私が苦手とする領域を上手にカバーしてくれる妻は本当に心強い。こういうところを実感するたびに、パートナーがいてくれる喜びを感じることができる。

 

妻の苦手とする領域で、私も頑張らねば。