いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

求められるということ

人はどのような時に幸せを感じるだろうか。私の場合、それは誰かから自分を求められる時ではないかと思う。

 

昨晩は娘が3回夜泣きを繰り返した。最後に泣いたとき、妻が寝室から様子を見に来てくれ、お茶を飲ませてからはおさまりがついたのをみると、どうやら娘はのどが渇いていたようだ。

 

そのような根本的な解決策ではないが、夜泣きした時には、娘を横になったままお腹の上に乗せてあげると、一旦は泣き止みもう一度眠りについてくれる。昨夜の場合で言えば、お茶を飲ませてからそれをやったら、以後再び起きることがなく、朝までぐっすり寝てくれたというわけだ。

 

なんにせよ、泣いていた娘が自分に抱きかかえられてすぐに泣き止んでくれるのは嬉しいことだ。それこそ、娘が自分のことを(実際は妻でもよいのだろうが)求めてくれていると実感することができる。

 

明日からは夜泣きを何度も繰り返すようなら、お茶を与えてからお腹に乗せてみよう。と、またひとつ学ぶことができた。

 

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昨日は仕事復帰の1日目だった。周りの同僚たちも同様だったが、とりあえずはリハビリのような働きっぷりで一日を終えた。ここ最近では珍しく、定時で家に帰ってくることもできた。

 

家に帰ってくる時は、私がチャイムを鳴らし妻が家の中から鍵を開け出迎えてくれる。そしてほとんどの場合はそれに娘もついてきて、妻と一緒になって「おかえり」(と言いたいのであろう言葉)を言ってくれるのだ。

 

連休明け最初の平日。最近パパとママの二人体制だったのに、今日から急にママ一人になったのでさぞ寂しかったであろう、私が帰宅した際にはいつも以上に嬉々として出迎えてくれるだろう、そう期待して私は家のドアを開けた。

 

しかし実際の娘はというと、妻と一緒になって笑顔で出迎えてくれたものの、すぐにリビングの方へと駆け戻っていってしまった。なにごとかと妻に尋ねてみると、どうやらアンパンマンのアニメを見せていたらしい。

 

なんでも先日のアンパンマンショー以来、娘は尚一層アンパンマンにハマってしまったらしいのだ。娘はアニメのエンディング曲の部分が見たいのだと、ほぼエンドレスで妻にせがんでいたらしい。リビングを覗くとテレビの前で、元気に歌い踊っている娘の姿が目に映った。

 

妻の話を聞くと、どうやら今日一日、パパがいなくなったギャップを少しでも娘に感じさせないよう、いつも以上に妻が娘の相手をしてあげていたということだった。だからこそ、いつもは限定的にしか見せていないテレビについても、今日は娘の要求を飲んで見せてあげていたらしい。


私はゴールデンウィークの反動から娘が急に寂しい思いをせずにすんだと聞き、安堵した反面、それはそれでパパとしては少しだけ寂しいなという気持ちになってしまった。

 

やっぱりパパがいなくなって娘にも少しくらいは寂しがって欲しいじゃないか。娘にもっともっと求めてもらいたいではないか。

 

ちなみに娘は、アンパンマンのキャラクターの中では、主人公に次ぎ現在は“かつぶしマン”というキャラクターにハマっているらしい。先日のショーにおいて活躍をしていたキャラクターだ。“かつおぶし”がモチーフゆえに“武士(ぶし)”の格好をしたキャラクターで、「かっ、かっ、かっ、かつおぶし」という特徴的な笑い方が娘のツボを押さえているらしい。

 

こんなヘンテコなキャラに夢中になるくらいなら、もっとパパを求めてくれよ。正直そんなことを思ってしまわなくもない。私も今日から笑い方を変えてみようかな、なんて、そんな迷走的な発想も浮かんできてしまう。

 

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さて、今日もそろそろ仕事に行かなければ。会社では少なからず、私のことを求めてくれている人がいる(はずだ)。

 

今日は何時に帰ってこられるかまだわからないけれど、家のドアを開けたとき、娘は昨日よりも私を求めてくれるだろうか。そんなことを楽しみにしつつ、私は今日も家を出る。

 

でも念のため保険で笑い方も練習しておこうかな、なんて、そんな考えを頭によぎらせながら。