いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

至福の朝

目覚まし時計が鳴る。今日から久しぶりに仕事。またこの生活が始まるのだ。

 

我が家では最近、和室にふたつの布団を並べ、私と娘のふたりで眠っている。

 

妻はひとりで寝室。私のイビキのせいで睡眠不足となりがちな妻を考慮し、現在暫定的にそのようなフォーメーションをしいているのだ。(妻はそのおかげで睡眠できているようだが、寂しさは募るばかりなので、本格対処をどうするかについては二人でまだ検討中だ)

 

昨夜の娘は、まだ遊びたいと駄々をこねるわけではなく、嬉しそうに私と共に布団に寝転がり、穏やかな笑みを浮かべながらコロリと就寝してくれた。なかなか珍しいことだ。日中に公園で思いっきり遊ばせたのが功を奏したのかも知れない。

 

私は二つ並べた大人用の布団のうち、娘が眠った方ではない方に寝床を整え就寝した。二つの布団は、どちらが娘用、どちらが私用、と決まっているわけではない。就寝に至るまで縦横無尽に転がり回る娘を考慮し、娘が眠りについたとき彼女の下にある布団が、その日の“娘用の布団”になるのだ。

 

私が目を閉じた時には、隣の布団の中心ですやすや寝息を立てていた娘だったが、今朝目を覚ますと私の枕に頭を乗せ、私の頭に擦り合わせるようにくっついて眠っていた。きっと夜中にもぞもぞと動いて、私の方に寄ってきたに違いない。(ちなみに、私は夜中ちょっとの物音くらいでは目を覚まさない体質だ。それと真逆の敏感な感性をもった妻は、そのことを心底羨ましそうに、そして少しだけ呆れ気味に捉えている)

 

なにはともあれ。目覚ましが鳴り、今日も仕事かと、少しばかり憂鬱な気持ちになりがちな目覚めに際し、愛おしい娘の寝顔が目に飛び込んでくるのは、本当にありがたいことだ。今日も家族のために頑張ろう、そのような前向きな気持ちで一日をスタートすることができる。

 

ましてや今日で言えば、ゴールデンウィーク明けの最初の朝。もっとも気落ちしてやる気の出ない朝だ。そんなときでも娘の寝顔は、私にものすごいやる気と元気を与えてくれる。

 

数日前に妻とも話をしたのだが、子供からは本当にいろんなパワーをもらえる。決して私たちが一方的にお世話しているのではなく、お互いに支え合っている家族なのだと、最近では強く感じている。

 

だから、将来は親孝行なんてしてくれなくていいよ、と私は心からそう思っている。唯一望むことは、健康で明るく、幸せに育ってくれることだけだ。

 

さて、今日もそろそろ会社に行く準備を始めなければ。最高の一日のスタートを切らせてくれて本当にありがとう。もうしばらく、ねんねしてていいからね。

 

それでは、パパは行ってきます。