いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

夜は短し遊べよ乙女

娘の遊んでほしいゲージが限界を向かえているようだ。

 

このところ私も珍しく残業が続き、妻も引っ越し準備や各種対応に奔走してくれていたので、なかなか娘にかまってあげられる時間がなかった。

 

そのため昨日も会社から帰宅すると、私がご飯を食べているその最中から、娘は私の手を引っ張り、遊んでほしいとせがんできた。

 

引っ越しの荷造りも進み、娘のおもちゃもそのいくつかを残し、他は段ボール箱に詰めてしまった。それゆえに、ひとり遊びのバリエーションも少ないのであろう。

 

そんな状態であったので、寝る時間になっても娘は遊びたがり、なかなか布団に入ろうとしなかった。

 

私としても最近かまってあげられていない、という申し訳なさを抱いていた。そこで、ここは思い切って派手に遊んでみようか、と思い立ったのであった。

 

私は布団から立ち上がり、不気味な怪獣のポーズをとった。それを見た娘は目を輝かせ、パッと笑顔になる。

 

娘に向かって大股で歩み寄る私。娘はぎゃーと叫んで逃げるように駆けだした。そして、その後はいつもの“怪獣鬼ごっこ”へと発展していくのであった。

 

途中、娘が私の目覚まし時計を手に取った。私はそれを返すよう娘に言ったのだが「○○ちゃんの!」と言い張って返してくれない。

 

私は娘の真似をして「パパの!」と言った。勘の良い娘はすぐにこの遊びを理解する。ニヤけながらにすかさず「○○ちゃんの!」と再び言い返してきた。

 

その後は「パパの!」「○○ちゃんの!」「パパの!」「○○ちゃんの!」という応答が、様々な声色やポーズと共に繰り広げられていった。

 

途中「○○ちゃん」と「パパ」を言い間違えたり、それぞれに相手のだと主張したりして、そのわけのわからなさが痛快だった。

 

最後はもみくちゃになりながら小さな時計を引っ張り合い、「はなちてよー」「かちてよー」と言い合うという、“ケンカ寸劇”を娘と一緒になって楽しんだ。思いっきり笑い、娘はとても溌剌としていた。

 

しばらくの間、そんなふうにして娘と思いっきり遊んだ。娘はここ数日たまっていたフラストレーションが解き放たれたようであり、私としても久しぶりに娘と触れ合え幸せに感じた。

 

そんな様子を妻も微笑ましそうに眺めてくれていた。ちなみに今日は娘を子育て支援センターに連れて行き、そこで思いっきり遊ばせてくれるようだ。

 

明日からはまた週末。ここのところ休日にも何かしら引っ越し関連の予定が入っていたのだが、今週末だけは一切その予定がない。そのため、久しぶりに娘と思いっきり遊びたいなと考えている。

 

もちろん、今日も帰ったらまた娘に手を引かれることだろう。今夜はどんな新しい遊びが開発されるだろうか。

 

なんにせよ、それもまた楽しいに違いない。