いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

パパにイジワルする理由

娘は私に対していろいろと手加減がない。

 

悪役になって退治される遊びをしていたこともあり、彼女の正義の鉄拳は成長と共にどんどん強くなっていった。更には、遊んでいない時でも戯れるように攻撃してくることが多々ある。

 

昨夜もお風呂の中で、思いっきりパンチしてきてなかなかに痛かった。また「痛いからやめて」と言っても面白がってしばらくやり続けた。

 

私は面白がっているのだろうな、と思いつつも、友達等に手を出したら大変だと思い、面と向かって娘をたしなめることにした。

 

こんなことを友達にしちゃダメだよ。そう言うと、娘は頷き「うん、パパだけ」と答えた。じゃあなんでパパにはするの?嫌いなの?と訊くと、首を振って「だいすき」だと答えた。

 

ここでもう一歩踏み込んで、じゃあなんで大好きなパパが嫌がることをするの?と尋ねてみた。ここまで訊いたのは初めてだ。娘はしばし考え込むように、うーん、うーんと考えていた。

 

「かんがえごとと、さがしものを、まぜまぜすると、イジワルになっちゃうの・・・」

 

娘がたどたどしくも、なんとか自分の言葉で捻り出した答えがそれであった。数少ないボキャブラリーの中で、自分の心の中を表現したのだろう。わかるようでわからない、その素直な表現に、とても新鮮な気持ちを抱いた。

 

娘に最大限寄り添って考察してみると、「考え事とか探し物のこととかを色々と考えているうちに、心の中が(子供ながらに)モヤモヤしてきて、その結果パパに当たってしまう」という感じだろうか。つまりはストレスの発散として、パパに意地悪なことをしてしまうのだろう。

 

そのように解釈すると、すごく腑に落ちた。子供にだってストレスはあるだろうし、経験や知識がないがために、その心のモヤモヤの原因や正体すらもわからないのだ。それがパパへのパンチになっているのだとすると、納得である。

 

あくまで私の考察なのでその真意はわからないものの、もし正解だとすると、娘はなかなかうまく言語化したものだ、と感心してしまった。

 

娘のストレス発散のためのサンドバッグになら、今後も喜んでなる所存だ。逆にストレスをうまく外に出せなくなったときが心配だ。もちろん、それも人間としての成長なのだけれど。