いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ゴールデンウィークでの気づき

ゴールデンウィークも本日で最終日だ。家族3人で過ごしてきた楽しい9連休がもうすぐ終わりを告げる。

 

昨日も、何をするでもないが楽しい一日だった。前日の疲れを癒やすことに注力しながらも、穏やかなる時間の中で、ささやかな幸福感を幾度となく感じることができた。

 

そんな中でも、お昼寝後に娘と行った公園でのできごとや、夕食後に大笑いした娘との愉快なやりとり(くしゃみのものまね、イタいのイタいの飛んでけ等)が昨日のメイントピックスにはなるだろう。

 

しかし、今回の記事ではそれらのことではなく、私の妻のことについて書いてみたいと思う。このゴールデンウィークを通して再確認した、妻の凄さについてだ。

 

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この9日間、私は常に娘と一緒に過ごすことができた。それこそトイレに行く以外の時間は、ずっと娘と一緒にいられたように思う。あたりまえのことだが、会社勤めのある平日にはできない、夢のような時間の過ごし方である。

 

もちろん大型連休でない普段の週末においても、私は娘と一緒にたくさんの時間を過ごしている。またそれはこれまでの大型連休においても同様だ。しかし今回のように、帰省も旅行もせずに“自宅で過ごす長い連休”というのは、娘が生まれて以来初めてのことだった。

 

そのため、おそらく意識的にであろうが、妻はこの9日間(お出かけする日は別にして)、いつもの休日以上に自然と身を引き、娘に関する多くのことを私に委ねてくれた。

 

私は常日頃から、娘とずっと一緒にいられたらどんなに幸せだろうかと考えていたので、普段からそれができる妻のことを内心とてもうらやましく思っていた。そして今回、実際に体験をしてみて、やはり心の底からその幸せを噛みしめることができた。

 

しかし実際にやってみると、想像していたのと違うと感じることもいくつかあった。最も感じたのは、想像していた以上に『自分のことをする時間がない』ということだ。

 

正直なところ、私は娘のお世話をしながら、遊びながらも、並行して自分のやりたいことを(たとえば本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたりすることが)、ある程度はできるのではないかと思っていた。しかし実際にやってみると、そのようなまとまった時間は殆どとることができなかったのである。

 

ということはつまり、普段の生活にあてはめてみると、妻はこのすきま時間だけを使って、家事をこなしてくれていたということになる。理解していたつもりではいたが、妻は毎日このハードルの高いミッションを欠かさず遂行してくれていたのだ。そのことを、この連休中に改めて実感することができた。

 

次に改めて感じたことは、妻の『家事能力の高さ』だ。この連休において娘のことを私に任せてくれた分、妻はいつも以上にその家事能力を発揮してくれていたように思う。

 

家中の消耗品におけるストック量の把握、消費スピードに対する計画的な補充。今後の日程を加味した洗濯のスケジューリングと遂行。毎食における料理の手際の良さ、こんだて作成に至るまでのスピード。作業レベルの事柄については、適宜私にも指示を出しながら、生活をする上で欠かせない雑多なことを、とても効率良くすませていってくれた。

 

また普段においては優先度を落としていたのであろう事柄についても、ここぞとばかりに実行に移していたのが印象的だった。

 

寝室における大規模な模様替えのような大きなこともそうだが、何度も落下していたトイレのカレンダーについての補強であったり、空気清浄機の掃除であったりと、小さなところにまで気を配り、娘を私に任せられるこの機を使って、妻はひとつひとつ確実にやり遂げていった。そのことについては、私も一緒になってやりながら、とても感心させられたことだった。

 

そして最後に、この連休中で私が最も感じたことは、妻の『育児力の高さ』だった。娘のあやし方についてもそうだが、特に感銘を受けたのは娘に対する叱り方、躾のつけ方についてだ。その点においては特に、自分は妻と比べ大きな実力差があることを感じざるを得なかった。

 

この連休中にも、娘をなかなか叱ることができない私に変わって、妻は何度も娘を注意してくれた。そのやり方が実に見事で、とても参考になった。そして娘を叱った上で嫌われるどころか、逆に信頼関係を強くしているように見受けられる点が、私が特に感服させられたところである。

 

また、娘をお世話する上での細かいところにも、普段から染みついているのであろう創意工夫を感じさせられた。たとえば、長くなった娘の前髪を切る場面をみてもそうだ。髪受けのついたポンチョをビニール袋から即席で作ると、頭からすっぽりと被せ、おもちゃで巧みに注意を引きながら、テキパキと遂行していたのだ。

 

そのほかにも、ご飯に際しなかなか椅子に座りたがらない時に、自ら座らせるように仕向ける方法や、歯磨きの仕上げ磨きを嫌がる際に、泣かせないで完遂する方法まで、普段の生活から培ったのであろう知恵と工夫を、大変多く学ばせてもらった。

 

私も普段はそんな妻から、家事や育児に協力的なことについて、感謝の気持ちを伝えられることがある。正直なところ、そのことで少し満足感を覚えていた面は否めない。しかしこの連休における日々を通じて、私は自分がまだまだだということをありありと痛感することができた。

 

そして、これからは少しずつでも妻に近づけるよう、日々精進していこうと胸に誓ったのであった。

 

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さて、冒頭でも書いたとおり、ゴールデンウィークも本日で終わりである。明日から私は仕事、妻は日中一人での家事・育児の生活が再開することとなる。

 

娘にとってみても、ここのところ大人2人体制でたくさん相手してもらっていた分、さみしさを感じてしまうこともあるだろう。連休中とても楽しかった分、明日からは三者三様にその反動を受けてしまうのだ。

 

しかしそれについて文句を言っていても仕方がない。次の休みに向け、この楽しかった思い出たちを糧に、また皆で頑張っていきたいなと思う。

 

そしてだからこそ、連休最後となる本日も、その糧となる思い出をひとつでも多く作りたいなと私は思っている。明日から大変になるのは目に見えているのだから、せめて今日までは、皆で楽しく過ごしたっていいではないか。

 

さて、今日はどこに行こうかな。妻と娘が目を覚ましたら、まっ先にそのことを相談してみようと思う。