いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

お片づけ

多くの子供の例に違わず、うちの娘も片付けが苦手だ。

 

このオモチャで遊んでいたと思ったらすぐに放り出し、別のオモチャを手に遊び始める。10分も遊べば、床は投げ捨てられたオモチャ達によって溢れ返っている。

 

注意してもなかなか片付けようとしない。最近では、ママに「お片付けして!」と言われると、私のところまで来て「ぱぱ、おかたづけして!」と言い渡すのだった。

 

発注を受けた下請け会社が、更に下の会社に仕事を横流しするみたいだ。結局は「なら、一緒にお片付けしようよ」と言って、ふたりで片付けることが多い。

 

そんな娘は昨日、なにを思ったのか、部屋中にあるオモチャというオモチャを、リビングとダイニングの中間部分に、洗いざらい並べていくという奇行に走った。

 

一切合切を奇妙な列に並べ、なぜだか悦に入っている。これまでになかった行動だ。その直前にも「お片付けして!」と妻から言われていたから、それへの反抗として、全く逆のことをやってのけたのかもしれない。

 

とにかく、そのときの部屋の中は異様な光景だった。リビングとダイニングの間に天の川がかかったかのように、オモチャの群集が星の数ほど横たわっていたのだ。

 

妻は呆れ返って叱る元気すら沸かない様子だった。これを二人っきりの日中にされたら発狂しそう、そんなことを呟いていた。私は仕方ないので、娘に呼びかけ、一緒になって(私が9割だが)お片付けをした。

 

お片付けが苦手な娘も、それが良い行いでやると褒めてもらえる、ということは知っている。私に少し加担してお片付けを済ませると、すぐにママのところに行き「おかたづけ、したよー」と報告するのであった。

 

思えば、少し前までは「ないないできるかなー」と言って、娘をはやし立て、お片付けの躾をしていた。素直に従う娘に、手応えすら感じていたものだ。

 

それがいつの間にかその手が効かなくなって、お片付けはしたくないけど褒めてはもらいたい、という横着な発想を娘が抱くまでになってしまった。

 

これもある種の成長なのだろう。人は成長すると、ずる賢く、横着になる生き物なのかもしれない。

 

でも、なんとか自発的なお片付けを習得させなければ。妻を発狂させるようなことだけはあってはならない。