いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

冬の夢

スコット・フィッツジェラルド『冬の夢』を読了した。
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これまで私は、フィッツジェラルドの作品は『グレート・ギャッツビー』以外読んだことがなかった。この本は村上春樹によって編まれた“若き日の名作集”で、5つの短篇小説が収録されている。

 

どの話も読み応えがあったが、中でも表題作の『冬の夢』と、『メイデー』、『リッツくらい大きなダイヤモンド』が特に私の印象に残った。

 

『冬の夢』は彼の短篇の中でも傑作と呼ばれ、期待値も高かったのだが、それを悠々と上回ってきた。誰もが身に覚えのある片思いの切なさを、これ以上ないほどに華麗に表現している。

 

『メイデー』は多くの人物が登場し、章ごとに場面が切り替わるのだが、それが終盤にかけて絡み合ってくるのが見事だった。長篇小説ではよく見られる構図だが、それを短篇においても実現させ、これほどまで立体的な世界を立ち上がらせるなんて。ただただ感服だ。

 

また『リッツくらい大きなダイヤモンド』はおとぎ話だ。富に取り憑かれた人たちの姿を美しくも残酷に描いている。浮世離れした設定だが、その瑞々しい文章の力によりありありと画が浮かんできた。

 

本の冒頭は、すんなりと文章が入ってこず、私には少し合わなかったかな、とも思っていた。しかし読み進めていくうちに、その煌びやかで流麗な文章とのチューニングが合ってくると、次第に恍惚な感情が芽生えてきた。

 

思えば『グレート・ギャッツビー』を読んだときもそうであったかもしれない。彼の筆致は他の作家とは大きく異なる。それゆえに、味わうためには読む側に、ある程度のアイドリング時間が必要となるのだろう。

 

彼は若くして完成していた作家で、若くして売れ、時代の寵児にまでなった。当時(約100年前)の文芸評論家からは「ひどい短篇小説だって見事に書くことができた」とも言われていたらしい。それほどまでに、圧倒的な文章力を彼は備えていたのだ。

 

実際に読んでみると、それがよくわかる。どんな些細な場面を書いたとしても、彼にかかれば一級品の文章となる。しかもそんな文章で綴られる短篇小説たちを、彼は長くてもせいぜい三日で書き上げたと言うのだ。これを天才と言わずして何と呼ぶのであろう。

 

読んでみて大いに刺激を受けた。読書欲が漲るこの時期に、手に取ってみてよかったなと思った。フィッツジェラルドの作品は、またいずれ他のも読んでみたい。

 

ちなみに収録作の『リッツくらい大きなダイヤモンド』は今秋、宝塚歌劇団にて舞台が公演がされるそうだ。

 

全くの偶然なのだが、なんとタイムリーなことだろう。とても興味を惹かれているので、妻にも相談し、観に行くことを前向きに検討してみたい。