いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

アイデンティティ

昨日、娘が放ったある言葉に心を動かされてしまった。

 

場面はお風呂。湯船に浸かりながら娘と向き合っていた。娘はお風呂の縁を使って指人形で遊びたがった。

 

そのとき私はふと、娘の浮かべた表情に慣れ親しんだものを感じた。鏡の中でよく見る私自身の表情にとても似ていたのだ。親子だから当たり前のことなのだが、頭が水で濡れ、髪型が崩れていたからこそ、顔の造形だけを中性的に捉えて彼女の顔を見れたのであろう。

 

私は思わず嬉しくなり「○○ちゃんの顔、パパに似てるねえ」と娘に言った。娘も照れながらも一緒になって喜んでくれるだろう、そのような反応を期待して。

 

しかし、それを聞くと娘は泣き出してしまったのである。幼稚園で疲れて、眠くて不機嫌だったことも大きいのだろうが、まさかの涙に私は戸惑ってしまった。

 

そんなに私と顔が似てると言われたことがショックだったのだろうか。女の子ならやっぱりママと一緒の方がいいのだろうか。妻に慰めてもらっている娘を見つめながら、私の頭にはそのような不安が錯綜していた。

 

妻が娘に優しく訊ねる。「なんで泣いているの?何が嫌だった?」。すると娘は「パパがにてるっていったの」と応えた後に、こんなことを口にしたのであった。

 

「○○ちゃんは、○○ちゃんがいい」

 

誰に似てるじゃなくて、私は私がいい。幼児が放ったその言葉に、私は小さな感銘を受けたのであった。うん、確かにそうだ。私もどこまでいっても私でありたい。

 

またそんな風に言えるほど、娘のアイデンティティが育っていることにも嬉しくなった。大丈夫、君は君だよ。