いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

夜想曲集

カズオ・イシグロの『夜想曲集』を読了した。副題として「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」と添えられている短編小説集だ。
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カズオ・イシグロを読むのはこれで3作目だ。まだ全ての作品を読めていないので、現時点では「愛好する作家」だと言うのは憚られるが、読み終わった暁にはそのように公言したいと思っている。それくらい、私にとって特別な作家のひとりだ。

 

彼の作品を読むたびに、文章を味わう喜びを噛みしめることができる。

 

彼の文章のどこがそんなに魅力的なのか、と問われれば、私はまずはその“平明さ”を挙げるだろう。

 

海外を舞台とする小説、特に原文が英語で書かれ、日本語に訳された小説を読むと、なかなかスムーズにその世界に入っていけない、ということがある。

 

出てくる固有名詞も馴染みがなければ、言い回しも肌に合わない。そんな要素も相まって、主人公の姿を、街の様子を、鮮明にイメージすることができないのだ。

 

しかし、イシグロの文章はそのようなことが全くない。平明な表現のみを使って、人物や街を生き生きと鮮明に描きだしている。

 

これは彼のルーツが日本にあるから日本人の感覚に合う、という訳ではないだろう。彼の文章がまとう普遍的な力によるものだ。それゆえに、彼の作品は世界中から評価されているのだと私は思う。

 

また彼の文章にはクセがない。いや、そう書くと多少語弊があるかもしれない。個性がないというわけではないからだ。文章に“臭み”がない、という方が近い表現なのかもしれない。

 

前述の“平明さ”とも関わってくる話だが、余計な“臭み”がないからこそ、そこに書かれていることが、読書という流れの中で何の不都合もなく遅延もなく、一瞬にして伝わってくるのだ。

 

そして、そこで描かれる世界というのも、これまた素敵なのである。

 

ストーリーはドラマチックな展開やオチがあるというわけではない。更に今作でいえば、短編集ということもあり、どれもこじんまりとした話ばかりだ。

 

しかしどの話においても、人生の一瞬を鮮やかに切り取ってみせている。日常に溢れる可笑しさや悲しみ、慈愛や哀愁を、甘美な余韻とともに私たちに届けてくれるのだ。

 

今作は副題のとおり、音楽に関わる人達が登場する。5つの話はどれも独立しているが、どの話にも、不協和音を醸し出す夫婦やカップルが登場する。

 

どれもそこにある問題が解決するわけでもなく、ハッピーエンドとは言いがたい幕切れとなるのだが、読み終わると、居心地の良い情趣に包まれることができる。

 

今作を読んで、こういう作品を書ける人が『ノーベル文学賞』をとれるんだな、ということを改めて思い、感慨にふけっていた。

 

カズオ・イシグロ作品で読んでいないのはこれであと5作品。急いで読んでしまってはいささか勿体ないので、ゆっくりと読破していきたいと思っている。

 

さて、次は何を読もうか。

 

午後から本屋さんに行って、考えてみることにしよう。それは読書好きには堪らなく贅沢な時間だ。