いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

娘シック

娘は日に日に、画面越しの私とのやりとりに慣れてきているようだ。

 

テレビ電話は、いつも妻の方から寝る前のタイミングでかけてきてくれる。娘は私が画面に映ると「ぱぱ!」と言って微笑んでくれる。昨夜もそんなふうにやりとりをしていた。

 

私と妻が他愛もないおしゃべりをしている間は、娘は部屋の中をぐるぐると歩き回っている。そして目についたものを手に取っては、ひとりで何かを口ずさみながら夢中になって遊んでいる。

 

部屋の中の物たちにも飽きてくると、娘はふたたびカメラの前に戻ってくる。そして「ぱぱ、ちゅっ」と言って、画面越しにチューをしてくれる。私がそれをやると喜ぶことを知っているのだ。

 

画面越しにアップになる娘の顔ももちろん可愛いのだが、スマホに手を添えチューをする、向こう側での娘の姿を想像すると、なお一層愛おしく感じられる。

 

通話を終えるときは、いつも「おやっみー」と言って、笑顔でバイバイをしてくれる。私もそれに笑顔で応える。こちらからは切ることができないので、いつも妻の方から通話を切ってもらう。

 

画面越しの生活は今日で12日目。娘たちに会えるまではあと6日だ。

 

まだまだ結構あるな。改めて日数を数えてしまうと、寂しい気持ちが押し寄せてくる。

 

このままパパが画面越しにいることに、娘は慣れきってしまわないだろうか。

 

今度娘と再会したときに、果たして前のように抱っこをさせてくれるだろうか。

 

パパよりも、じぃじやばぁばがいい、と言って泣いてしまわないだろうか。

 

そんなことを考えては、不安な気持ちになってしまう。

 

とはいえ、今そんなことを心配していても仕方がない。もし仮にそうなってしまったとしても、そのときはまた、1から娘との関係を築いていけばいいだけの話だ。

 

一緒にいられるのであれば、そんなことは苦労なことでもなんでもない。

 

そう自分に言い聞かせ、なんとか落ち着きを取り戻すことができた。

 

今頃、娘は新しい浴衣を着て、近所のお祭りに行っている頃だろう。

 

先日、画面越しに見せてくれた浴衣姿は、とてもとても可愛かった。いまはその浴衣に身を包み、目をキラキラと輝かせながら、出店に並ぶ物珍しいものたちを見つめ、喜びの声を上げていることだろう。

 

今晩、そんな娘が写った写真や動画を、妻がたくさん送ってくれるはずだ。それを見るのが、今から楽しみでならない。

 

そして私は、それを見てまた少しだけ、“娘シック”に苛まれてしまうのだろう。