いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

感じる娘の成長

娘は久しぶりの我が家が楽しいようだ。

 

昨日は帰って来るなりおもちゃ箱をひっくり返し、一つひとつのおもちゃを確認するかのように順番に遊んでいた。

 

久しぶりに会った「ミニオン」と「ステラちゃん」のぬいぐるみ、相棒である「はらぺこあおむし」のライドにも、嬉しそうに話しかけ、おままごとの要領でご飯を食べさせていた。

 

また「アンパンマンクレヨン」を使ったお絵描には、以前にも増して熱を入れている。

 

帰省する前(約3週間前)は、ほぼ私や妻に描いてもらうだけだったのに、いつのまにか自分でもいろんな模様を描けるようになった。それがきっと楽しいのだろう、娘はクレヨンを目にするたびにやりたい、やりたいと主張するのだ。

 

それと、帰省前からの娘の変化で言えば、なんだか身長も伸びたような気がする。

 

昨夜、洗面所で踏み台に乗せ、久しぶりに「ぐぅぐぅぺっ」をさせていたのだが、前は届かなかったはずの蛇口のレバーに手をかけ、自らで水を出せるようになっていたのだ。

 

また、寝室や浴室のドアノブにもあと少しで手が届きそうになっていた。それが届いた日には、我が家における壁がまたひとつ崩され、娘に新たな領域への進撃を許すことになってしまう・・・。(詳しくは下記参照)

pto6.hatenablog.com

昨日は、そんな娘の成長をはからずとも垣間見ることができて、当然嬉しくもあり、少しだけ怖くも感じた。

 

やはりこの年齢(1歳11ヶ月)の子どもにとっての“3週間”は長いのだろう。それだけの期間があれば、このように目に見える成長を遂げることができるのだ。

 

もちろん、身体の大きさだけでなく、頭脳の面でも成長を感じられる。


今朝なんて、散歩の帰り道にコンビニに寄って、娘の好きなコロッケを買ったのだが、それを買うまでの会話(「何か買う?」→「こっこいえ」)や、それを持ち帰る際のやりとり(「鍵だすから袋持っといて」→「うん」)などからも、意思疎通がスムーズになったことを感じられた。

 

そういえば、昨夜お風呂にはいったときなんか、考えるときに「うーんとねー」と娘が言っていて驚いた。英語で言う「let me see」。そんな言葉も、こんな年齢のときから使い始めるんだなぁと、興味深く感じたものだ。

 

さて、そんな娘は現在お昼寝中。妻もまだ体調が治らないので寝室で横になっている。

 

そのため、こうやって机の前でひとり文章を書いているわけなのだが、妻と娘が帰省していたひとりぼっちの時と比べると、同じ事をしていても寂しさは感じない。

 

やっぱり同じ屋根の下に家族といるだけで、私は穏やかな気持ちになれるようだ。

 

彼女らが起きるまでのしばしの間、ひとりの時間を満喫しようと思う。