いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

働き方改革

昨日は仕事後に社外の講演会に行ってきた。

 

会社の育成施策の一環で、自ら手を上げ参加したのだ。会社の負担で自己研鑽ができ、業務扱いなので時間外手当も発生する。実においしいプログラムだ。

 

講演者はコンサルティング会社アクセンチュアの幹部。テーマは『働き方改革』の進め方についてだった。

 

アクセンチュアは数年前、激務でブラックだというレッテルを貼られ、人材派遣会社から人材を紹介できないとまで言われてしまう程の由々しき状況だったようだ。

 

人材こそが重要な会社において、この状況はマズいと感じた社長が、今で言う『働き方改革』に数年前から着手したらしい。というかどうやら、アクセンチュアのこの事例を見て、政府もそれを推進しはじめたみたいだ。

 

いろいろと具体的な話もあり、質疑でのやりとりもあり。結局、会社の中で真に『改革』を実現するには何が最も重要か、という話になった。講師の回答はこうだ。

 

「会社のトップ自らがどれだけ本気になるか」

 

これにはとても納得した。世間で『働き方改革』が囁かれ、どの会社でもそれに伴う取り組みや制度の改正が行われたことだろう。しかし、形だけ導入したところで真の改革なんて起きない。

 

我が社を振り返ってみてもそう感じた。多様的なワークスタイルを推進する施策はどんどんと出てきたし、それにより働きやすい土壌が整ってきているのは事実だ。

 

しかしトップの人間。近場で言えば組織長あたりが、この取り組みに対して真剣に向き合い、その目的と狙いを十二分に理解した上で、自らのやり方から変えていかない限り、『働き方改革』は起き得ないだろう。

 

まさに昨日会社にて、時代と逆行するような、昔の自分のやり方に固執するような方針を、うちの組織長が出すそぶりを見せていた。こんなことをしている内には、変わるものも変わらないだろう。

 

でもまぁ、一応擁護もしておくと、今のトップの人達も組織の舵取りはさぞ難しいことだろう。

 

求められる能力や発想、柔軟性が昔のそれとは大きく変わってきている。つまりは今その地位にいる人達も、別に「現代の物差し」で能力ややり方を評価され、そこにいるわけではないのだ。

 

有名なダーウィン進化論の言葉を思い出す。

 

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。

 

まさにこれからのトップにも同じ事が言えるのではないだろうか。一応、将来のことも見据え、そのことは改めて肝に銘じておくことにする。