いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

魔宮トイザらス

トイザらスという魔宮がある。

 

入り込んだら最後、なかなか外には出られない。昨日は軽い気持ちで足を踏み入れたことで、2時間あまりの拘束を余儀なくされた。

 

トイザらスに入る前は、とかく順調に行程が進んでいた。厄年の妻と一緒に住吉大社を訪れ、厄払いをしてもらい、その後は難波に移動して、子連れでものんびりできるお店でイタリアンを食した。

 

さぁて、あとは娘にオモチャでも買ってあげて家に帰ろうか。そんな暢気な気持ちで敷居をまたいだのが、なんばパークストイザらスだったのだ。

 

抱っこから降ろすと、娘は「うわぁ」と言いながらフロア内を巡り始めた。平日だったのでいつもより人が少ない。私は微笑みながら彼女の後をついて回った。

 

キャラクターに反応し声をあげ、サンプルで置かれているオモチャで夢中に遊び、気まぐれで手に取ったものを意味もなく私に手渡してきた。

 

「このまま娘のペースで見て回ってても買うオモチャなんて一生決まらない。」そのような考えに至るまでに、既に30分ほどの時間が経過していた。

 

私と妻は作戦を切り替え、もともと案としてもっていたトーマスのオモチャが置かれたコーナーと、ブロックのコーナーに娘を連れて行くことにした。

 

前者であれば、既にもっているものと互換性のある『木造レールのトーマス』を、後者であれば、少し複雑な組み立てができる『ニューブロック』を候補としていた。

 

「コレ面白そうじゃない?どう、欲しい?」

「・・・だめぇ!」

 

以降はその繰り返しだった。私たちが買ってあげたいオモチャはことごとく娘に全否定された。まったく興味をもたれず、プイッとそっぽを向かれる始末。娘は私たちをおいて別のオモチャの元へと駆けていった。

 

彼女が興味を惹かれるものは、まだ到底早いであろうパソコン型の学習用オモチャだったり(ただボタンを押したいだけ)、ガチャガチャの景品ででてきそうなチープな人形だったりと、どれも私たちの構想とは相容れないオモチャばかりだった。

 

そのように時はだらだらと流れ、私も妻も体力が限界に近づいていた。足は重くなり、肩はこり始め、眠気と頭痛に襲われはじめていた。

 

娘はそんなことはつゆ知らず、相変わらず自由気ままにサンプルのオモチャで遊び回っている。苦しい状況だ。

 

私は何度も一番推しの『ニューブロック』のセットを彼女の前に持って行く。しかしことごとく「だめぇ」だ。せめて大はしゃぎしなくとも「うん」くらいあればレジに向かえるというのに。過去楽しそうに遊んでいた実績はあるので、買えば間違いなく喜ばれるはずなのだ。

 

ただ、そうであるとしても、娘が「いらない」と主張するものを、買うという踏ん切りはつかなかった。途中から妻にも「もうあの娘に聞くのは諦めなよ」とも言われたが、私はどうしても娘が「ほしい」というものを買ってあげたかったのだ。

 

そのようにして、私はトイザらスの迷宮に迷い込んだ。

 

そして2時間ほどが経った頃、ついに闘いに終焉が訪れる。妻がタイミングよく娘の前に、LEGOシリーズのデュプロを持って行ったのだ。

 

「みてみて、これ面白そうだよ。ほしい?」

「・・・うんっ」

 

私たちは、そのか細い「うんっ」に背中を押され、ついにはレジへと並んだ。そして疲れでドロドロになりながらも、なんとか家路へとついたのであった。ちなみに娘は抱っこひもに入ると、ものの数秒で眠りについた。

 

そして家に帰り着くと、彼女は買ったブロックで嬉々として遊んだ。持っている単純なブロックとは違い、自由度はあるものの何か目的をもって作り始めるので、これまでより頭を使うことが求められ、楽しそうだった。

 

そんな娘の笑顔を確認し、私は妻と頷き合った。私達のあの2時間あまりの闘いは、決してムダでは無かった。

 

それぞれソファに、イスに。我々はだらしなくもたれかかかっていた。今にも、溶けてしまいそうだった。