いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

乳持たざる者

私は男だ。当然だがおっぱいはでない。

 

それに対し妻は、おっぱいという最強の武器を持っている。

 

この武器の所有によって、妻はおっぱいが大好きな娘に対しあらゆる面でイニシアチブを握ることができる。

 

泣いた際になだめることもできる。寝かせつけることもできる。「○○やったらおっぱい飲もう」という餌でつり、娘に言うことを聞かせることもできる。

 

妻曰く、授乳を続けるのは肉体的負担も大きいとのことなのだが、私からみれば、おっぱいを所有するがゆえに発揮できる優位性は絶大で、それを心底羨ましく思っていた。

 

しかし最近、おっぱいをもたない、所謂“乳持たざる者”だからこその利点もあるのだな、ということを発見した。

 

それを感じたのは、娘を寝かしつける場面だ。

 

娘は妻と一緒に寝ると、おっぱいをあげるまでせがむ。しかし今は断乳へと向け寝かしつけにおける授乳は控えているため、あげることはできない。

 

すると当然、娘は妻が視界に入っている限り泣きわめき、なかなか寝てくれない。これがここ最近、私たち夫婦を困らせていた問題だった。

 

しかしそんな娘も、私と二人で寝るときはすぐに大人しく眠ってくれる。

 

そう、娘は私が“乳持たざる者”だということを知っているのだ。聡明な彼女は、八百屋にサンマは注文しないのである。

 

そんな彼女が私に要求することはただひとつ。“腕まくら”ならぬ“腕ふとん”をすることだ。

 

私の腕を掛け布団のように、娘の胸の上に置いておくこと。ひっくり返ってうつ伏せになっても、しっかりと背中に置いておくこと。ただそれだけである。

 

それは私からすると、要求されるどころか、こっちからお願いしてでもやりたいようなことだ。私の腕をつかみ、安心したようにすぐに寝入る娘。これ以上に嬉しいことはない。 

 

実際に消灯してから娘が寝入るまでの時間も、妻と寝るときと比べて遙かに短くなる。昨日一昨日と、意識して時間を計測してみたのだが、私と寝るときはものの10分で娘は眠ってしまう。

 

これは決しておっぱいをもつ妻にはできないことではないだろうか。こんなふうにおっぱいを持っていないこと、それ自体が武器になることもあるみたいだ。

 

こうして私は“乳持たざる者”としての戦い方、活躍の仕方を実感することができた。

 

そんな私の活躍により、昨夜も娘と妻はぐっすりと眠ることができたであろう。

 

そのことに少しだけ満足感を感じながら、今週最後となる会社へと家を出た。