いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

至福の耳掃除

昨日は友人家族とランチに出かけ、夜には鰻のせいろ蒸しを食べ、なにかと食に関するイベントが多かった。

 

しかしそんな一日において、私が最も印象に残っているのは、娘に耳掃除をしてあげたひとときのことだ。

 

耳掃除は気持ちが良い。

 

自分でもついつい毎日のようにやってしまう。医学的には推奨されていない行為だということは知っているのだけれど、それでもなかなかやめることができない。

 

そんな私たち(妻も大好きなのだ)を見ているからだろうか、娘も耳掃除には興味津々である。昨日も、赤ちゃん用の柔らかい綿棒ケースを指差し、「みみこちょこちょ、してぇ」と私にお願いをしてきた。

 

そのとき妻は疲れて昼寝をしており、私と娘のふたりっきりだった。私は畳に座り、娘の頭を腿に乗せ、横向きに寝かせて耳掃除をしてあげることにした。

 

とはいえ、耳垢を奥に押し込んでもいけないので、耳の入り口部分をこしょこしょと優しく擦るだけだ。綿棒を動かし始めると、娘は産まれたての雛鳥のような薄目で、まどろむ表情を浮かべていた。

 

片方の掃除が終わると、「こっちも」と言って娘が反対側の耳を向けてきた。同じようにこしょこしょやり始めると、今度は表情が見えないものの、恍惚に包まれているのはその吐息の様子からも感じ取れた。

 

私は久しぶりに会った親戚の夫婦仲に触れるくらい、注意深く反応を窺いながら、おそるおそる耳の中を探索していった。娘はたまにぴくりと動いたが、基本的には穏やかな表情を浮かべ、その快感に身を委ねていた。

 

両方の耳が終わると、娘はまたもひっくり返り、再び最初の方の耳をしてと頼んできた。それも終わるとまた一方の耳を差し出してくる始末。いくら返してもなかなか焦げ目のつかないパンケーキのように、娘は何度も何度も私の腿の上で反転を繰り返していた。

 

人からやってもらう耳掃除は格別だ。その気持ち良さを知っているからこそ、私もなかなかやめさせることができなかった。それに娘が至福の表情を浮かべていたので、そこに水を差すのが躊躇われてしまったのだ。

 

取るに足らない日常のワンシーンだけれど、私にとっては夏の幸せなひとときとして記憶に刻まれた。ゆっくりと時間がとれるときにでも、またやってあげたいな。