いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

浜風に吹かれて

海を越えると、何かを脱ぎ捨てた気持ちになった。

 

日々のしがらみは本土に置いていけばよい。そのような清々しい感覚に包まれながら、私は淡路島の地に車で降り立った。

 

娘の春休み中における最後の思い出として、今日は年休をとってお出かけをした。金曜日は娘のスイミングがあるので木曜を選んだが、新年度の初日から会社を休むことは何とも痛快に思えた。

 

レンタカーを借りて淡路島へ。今読んでいる小説でも淡路島を通って四国に入る場面がある。それを読んでここに来ようと思い立った。近場で非日常が味わえる。日帰りで行くには最適な場所だと思えた。

 

日頃の行いか、神様からの慈しみか。天気に恵まれ、これ以上ないほどのお出かけ日和だった。

 

妻の運転でスムーズに上陸すると、まずは明石海峡大橋の足元で昼食をとった。潮の香りを嗅ぐのも久しぶりで、開けた広大な視界を前に、胸にすっと風が吹きこむように思えた。なぜ人は海を前にすると、こんなにも素直な心持ちになれるのだろうか。

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腹を満たした後は国立公園に赴いた。夢っこ広場と冠されたエリアには煌めく遊具があり、娘は勢いよく駆け出し、私らが止めるまで遊び続けた。最後は娘を引き剥がすように連れ戻し、公園を後にする。

 

次に訪れたのは、海水浴場の砂浜である。人の姿も疎らで、波も穏やかであった。娘は防波堤や岩場の上を意気揚々と歩いた。砂浜では乙女らしく妻と貝殻を集め、カニを見つけては怖がっていた。私も綺麗な石や波に洗われ丸みを帯びたガラスを集めた。いつまでも波打ち際を歩いていたい気分になった。

 

夕食は事前に調べておいた漁師飯屋へ。期待通りの美味しさとボリュームで、慌ただしい食事ながらも(時短営業で閉店が迫っていたのだ)、唸りながらに舌鼓をうった。海鮮丼と鯛の天ぷらが絶品であった。また食べに来よう。妻とそう約束を交わす。

 

そして長旅を終え、無事に家に帰り着くことができた。いつもなら会社に行って疲労感とストレスだけを得ている同じ時間で、こんなにも充実した一日が過ごせるのか。そのことを改めて実感し、少しだけ打ちひしがれた。嘘みたいに幸せな一日だった。