いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

初めてのあひるボート

気づけば、今日が淡路島旅行の最終日だ。

 

非日常はあくまで“非”日常に過ぎない。それがいつまでも続くようなら、それはもはや日常になるのだから。

 

昨日はホテル近くの公園で遊んだ。入園料が必要な立派な公園なので、園内は綺麗に整備されていた。麗しい花々を鑑賞しながら、ぐるりと近場を散策した。

 

アスレチックを見つけ、しばし娘と遊んだ。その後は大きな池に沿うように入口へと引き返し歩いた。そのとき、池にあひるボートが浮かんでいるのを見つけた。

 

妻がそれを見て「いいなぁ」と漏らす。そういえば、以前からボートを見かけるたびに乗りたいと言っていた。なんでも、生涯で一度も乗ったことがないようなのだ。

 

私は「乗る?」と聞いてみた。妻は「乗る!」と嬉しそうに即答した。娘にもそのことを告げると「やったぁ!」と叫んだ。私たちは早足で乗り場へと向かった。

 

船乗り場へ着くと、さっそく料金を支払った。時間は30分。ここのあひるボートは、ただ池でぷかぷかと浮かぶだけではなく、入り組んだコースがあり、それを行って戻ってくる、アトラクションのような仕様だった。

 

私たちは船乗り場を離れるや否や、さっそく草地に頭からつっこみ、前途多難なスタートを切った。

 

その後もハンドル捌きがままならず、何度もボートをぶつけた。コースは思いのほか狭く、前後進を繰り返しながら、なんとか致命傷は避け進んでいる状態だった。

 

娘はぶつかりそうになるたびに叫び、ぶつかるたびに叫んだ。その衝撃には、恐怖を感じているようだった。

 

私と娘がハンドルを握り、私と妻がペダルを漕いでいたのだが、遂にらちがあかなくなってきた。選手交代。唯一まともに自動車を運転できる妻にハンドルを委ねた。

 

妻は涼しい顔で颯爽とハンドルを切り、ペダルも漕ぎつつ、私にも指示を出した。すると面白いようにボートが進んでいく。ボートに欠陥があったわけではないのだ。

 

ついには中間地点のひらけた浮遊エリアまでたどり着いた。私と娘は安堵し、妻は満足げに微笑んだ。池には他にボートは浮かんでなかったので、私たちはしばしそこで気持ちよく漂い、時間を調整した。

 

帰り道も妻がハンドルを握ったので、大きな問題もなくボートは進んでいった。私と娘はその間、餌を求めてボートに近づいてくる鯉や鴨たちと戯れていた。

 

船乗り場に到着し、陸地へと降り立つと、妻は改めて感想を口にした。人生初めてのあひるボートがこんなに楽しくて最高だと、少し大げさなまでに喜んでいた。

 

その後、母とも合流し、公園内を改めて散歩したのだが、娘はしきりに前半戦の恐怖をばぁばに伝えていた。

 

「ぶつかる〜ってなって、いって、こわかったの」

 

あまりに何度も何度もそのことを語るので、私は申し訳なくなった。トラウマにならなけりゃいいのだけど。

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今後もあひるボートを見かけたら、妻は乗りたがるに違いない。そのときは最初から妻にハンドルを委ねよう。