いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ふて寝

今日は夕方からふて寝した。

 

些細なイライラが募ったのだ。睡眠と時の経過というのはストレス軽減の作用がある。イライラしたら寝るに限る。


ひとつめのイライラは宅配便だ。このご時世を鑑みて、配送会社によっては受け取りサイン不要のところも増えた。しかしある会社は未だにハンコが必要である。ただまあハンコくらいならと、今日もハンコを持って玄関を開けた。

 

しかし今日の担当者はすっとスマホを前に出し、サインをくださいと言ってきた。呆気にとられて少し戸惑っていると、画面を指でなぞるとサインが書けますから、と誇らしげな説明を向けてきた。

 

私はいくつもの言葉を飲み込み、言われるがままに画面を指で触れサインを書いた。彼が宅配した不特定多数の方々も同じようにその画面に触れたかと思うと、公衆トイレの便器に触れたかのような、おぞましい気持ちになってしまった。

 

扉を閉めると、すぐに石けんで手を洗った。これならまだハンコの方がマシだ。デジタル化の推進なのかもしれないが、なぜ今時代と逆行するようなことを客に強いるのだろうか。配達員の方に言ってもしかたがないので、沸き立つ思いは妻に吐き出した。

 

ふたつめはマンションのキッズルームでのことだ。途中までは貸し切りで娘と息子を広々と遊ばせていた。しかし途中で娘と同級生の家族が入ってきた。

 

娘は友達と遊びたがっていたので、よかったなと思ったのも束の間。遊び始めたその姉妹が、マスクもつけずにタン絡みの咳をし始めたのである。

 

ママも付き添っていたのに、それについての対策や配慮はまったくなかった。彼女らは大声を出して走り回り、口に手もあてることもなくゴホゴホとあたりに飛沫をまき散らしていた。

 

娘はとても楽しそうだったが、私は次第に気分が悪くなった。子ども達に罪はない。そこを指導し、周りにいる人へと気を配るのは保護者の責任である。

 

しかし母親は椅子に座ってスマホをいじり、子ども達が悪印象を与えていることに気がついている素振りもなかった。私は娘を連れて家へと帰った。まだ遊びたいと娘は泣き出したが、こんなことで娘が体調を崩したら、堪ったものじゃない。

 

私が神経質すぎるのだろうか。蔓延するウイルスが諸悪の根源ではあるのだが、こんな時だからこそ、ささやかな価値観の違いに苛つきを覚えてしまう。