いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

目には目を、言葉には言葉を

言葉で浮かぶモヤモヤは、言葉で晴らすのが一番だ。

 

昨日はそのことを改めて実感した。仕事帰り、初めて行く美容室で髪を切った。想像以上に居心地もよく、仕上がりにも満足した。しかし、家に向かって歩き出すと、鬱々とした気持ちが蘇ってきた。

 

会社での帰り際、とても理不尽な頼まれごとをされたのだ。それに対して私はまっとうな理由を述べ、断った。仕事ではない。送別会でのスピーチに関することだ。しかし断ったものの、すっきりしない。“断る”という行為にも、それなりのストレスがかかるのだ。

 

私はわだかまりを抱えたまま家に帰った。娘と触れ合うが、視界には薄暗いベールのようなものがかかり邪魔をする。気を抜けば、会社での出来事を思い出し、不愉快な気持ちになる。依頼主に対してもの申したい言い分が洪水のように押し寄せてくる。

 

気持ちの整理がつかないまま、家族みんなでお風呂に入った。暖かい湯船に浸かりながら、ふと見上げると、妻も浮かない顔をしていることに気がついた。そういえば、家に着いたときから疲労感を漂わせていた。

 

「なんだか、つかれたよね」

 

私がそう声をかけると、妻は笑顔をつくってくれた。それからいくつか会話を交わす。お風呂をあがった後も、ソファに座りながらポツりポツりと、たわいもないことを二人で話した。

 

少しずつ気が紛れていくように感じた。頭に押し寄せていた刺々しい言葉が流され、妻と交わす楽しい言葉たちが、かわりに頭を埋め尽くしていった。

 

人に癒やされるのにも、いくつかパターンがあるようだ。娘の無邪気さに心洗われるときもあれば、このように、妻との会話に心救われるときもある。

 

やっぱり家族ってありがたい、そんな風に思った。頭の中はできるだけ、楽しい言葉で満たしたいものである。