いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

優しさのバトン

夏休みが終わり、久しぶりにプレ幼稚園に行った娘。

 

妻の話を聞くかぎり、いつも通りに楽しんでいたようだ。誕生月なので皆にハッピーバースデーを歌ってもらった際には、可愛らしいハニカミを見せて、周囲のママさんたちを笑顔にさせていたらしい。

 

娘に幼稚園の話を聞くと、嬉しそうにいくつかの話をしてくれた。その話に大きく相槌をうち、楽しそうに聞いていると、「ぱぱもいきたかった?」と聞いてきた。娘がよく使うせりふだ。

 

私は「うん、行きたかったよ・・」と寂しそうに応える。すると娘は「こんどはいっしょにいこうね」と優しく励ますように、言葉をかけてくれるのであった。

 

このように、娘はけっこう優しい言葉をかけてくれる。例えば、どこかをぶつけたときに「痛たっ」と反射的に言うと、「どこがいたかった?」と聞いてくる。ぶつけた部位を教えると、「だいじょうぶ、すぐよくなるよ」と優しく慰めてくれるのだった。

 

私は優しい言葉を娘にかけられるたびに暖かい気持ちになる。なんて優しい子なんだ、と思うのだが、よくよく考えてみれば、その言葉は私が娘にかけてあげているものだった。きっとその真似をしているのだと思う。

 

なんだか『情けは人のためならず』という格言が頭に浮かんできた。人に優しくしていれば、それが回り回っていずれ自分にもどってくる。決してそんな下心があって娘に優しくしていたわけではないけれど、人間関係はうまいことできているなぁと、改めて思わされた。

 

私が種をまいたその“優しさ”が、娘から別の人に伝わっていけば嬉しいな。そしてその“優しさ”がいずれ娘へともどって、彼女の心を暖かくしてくれたなら最高だ。