いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

防衛本能との闘い

人間には防衛本能というものがある。

 

危険が迫っていたら身構える。当然の反応だ。それなのに、それをするなと言われるならば阿呆になるしか道は残っていない。「危険が迫っている」という事実を阿呆になって頭から追い出すのだ。

 

しかし、そう簡単な話ではない。知ってしまったことを忘れるのは実に高度なことだ。私は少し寄り目にしながらダラシなく口を半開きにした。私が思う阿呆な顔とはそういうものなのだ。

 

でも、いくら阿呆な顔をしたからといって「危険が迫っていること」を完全に頭から追い出すことはできない。私は寄り目を更に寄せ、気持ち舌を突き出してみた。残念ながらもうこれ以上、阿呆な顔はできそうにない。

 

しかも防衛“本能”と言うくらいだから、阿呆になって人間であることを放棄して見せたところで十分ではない。理性を捨てた後にも残るもの、それが“本能”だからだ。

 

つまり人間を辞めることに飽き足らず、動物であることすらを放棄する気概が必要となってくる。それでこそはじめて「危険が迫っていること」を頭から完全に追い出すことができるのだ。

 

しかし動物を辞めることなんてできるのだろうか。そうか、抜け殻になればよいのか。私は「幽~体〜離脱~」と心の中で呟き、頭のてっぺんから魂が抜けていくイメージを思い浮かべた。

 

そんな矢先、第一の衝撃が襲う。

 

思わず目をつむる。でもおぼろげな意識のうちに喰らったことで、なんとか堪えることができた。よし、やはりこの方法だ。ただ、第一波の衝撃によって、せっかく頭から追いやったはずの恐怖心が再び舞い戻ってくる。

 

でもコツは掴んだ。人間を辞め、動物であることを放棄する。幽体離脱だ。私は後ずさりして目を閉じたくなる恐怖と戦いながらも、気力だけでその場に留まっていた。気力がある時点で幽体離脱は失敗しているのだが。

 

そうこうしているうちに、第二波がやってきた。

 

遅れて目を伏せる。今回もなんとか堪えた。残る攻撃はひとつ。ここまで来ると後は気合いと根性だ。もうなんでも来いやの精神で、私は相手を睨み付けた。これまで以上に目をかっと見開き、拳をキツく握りしめた。

 

プシュッ。

 

「はい、おしまいですよ」

 

それを左右こなした。人間ドッグで、生まれて初めて検査員さんの手で瞼を押さえてもらわずに、眼圧検査を最後まで乗り切ることができた、というお話。やったぜ。