いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

世界は誰かの仕事でできている。

今日は会社を休んで免許更新に行ってきた。

 

妻の勧めで運転免許センタではなく、はじめて警察署で更新手続きをしてみた。いくらか手数料は高いのだが、人混みも少なく、近所にあるのでアクセスしやすい。

 

受付が開くと同時に手続きを開始した。私が一番だったのだ。こなれた説明に促され、次の受付へと行く。そこでも指示を受け、テンポ良く工程をこなしていく。システマチックに流れ、実に気持ちがよかった。

 

私はゴールド免許フォルダー、またの名をペーパードライバーなので、講習は30分だ。妻から聞いていたとおりの狭い部屋で、他3人の更新者と共に講義を受けた。

 

その講師の話し方が特徴的で、聞きながらクセになった。ここから先は、彼の口調を借りて書いていきたい。

 

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講習はあっという間に感じた。どうしてか。朝だし目が冴えていた、これがひとつ。事故の話が新鮮だった、これがもうひとつ。ただ、講師の話し方に興味を惹かれた、これが一番のポイント、そうご理解いただきたい。

 

とはいえ、なにも風変わりな話し方をしているわけではないのです。でも、不思議と耳を澄ませてしまう。なぜか。そこに漂う芝居じみた洗練さ、それに対して心地よさ、そして滑稽さを、感じてしまったわけであります。

 

彼は一日数回の講習、それを毎日のように繰り返しているわけです。それはこなれてもくるでしょう。でも、だからといって手は抜いていない。1回、1回、真剣に話している。手振りもつけて、受講者の顔も見ながら。


でもどうしてもこなれた部分がでてきてしまう。なぜか。そりゃ何百回と同じ説明をしていればそうもなるでしょう。話から話の繋ぎ、そこにも一切のそつが無い。スライドのどこを読み、どんな具体例をだすか、頭で考える前に、口から言葉がでてきてしまうわけです。

 

毎回の講義を真摯に行いたい、そんな想いと、機械的な説明が淀みなくでてしまう、そんな職人の性、そのギャップに、私はある種の滑稽さを感じてしまったわけなのです。ここがポイント、そうご理解いただきたい。

 

さて、時間の30分となりました。講義は終わり、私は帰るわけです。自転車を漕ぎながら、私はぼんやりと、彼のことに思いを馳せてしまいました。どうしてか。なんだかいいなぁ、そのように感じていたわけであります。

 

世界は誰かの仕事でできている。

 

そんな缶コーヒーのキャッチフレーズ、皆さんもご存知でしょう、それがぼんやりと頭に浮かんできたのです。