いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

時は金なり

昨日は久しぶりに残業し、家に帰り着いたのは22時前だった。

 

連休ボケの空気は跡形もなく消え去り、仕事は通常運転、忙しさを極めている。

 

そんな日は、当然ながら家族と一緒に過ごせる時間が限られてくる。昨日で言えば、朝家を出発するまでの数分間と、帰ってきてから寝るまでの2時間あまりが、私が家族と過ごせた時間だった。

 

妻目線で見れば、そのぶん育児と家事を一人で担う時間が増えることになるし、娘目線でいえば、大人に相手してもらえる時間がどうしても減ってしまうだろう。そして私の目線で言えば当然、家族と過ごせない寂しさを味わうことになる。

 

サラリーマンである以上、残業することは致し方ないことだ。幸いなことに、私が勤めている会社は極めてホワイトな社風であり、残業代も働いた分だけしっかりと支給される。昨日で言えば3時間分、1万円弱の残業代が、来月の給料に上乗せされることとなる。

 

上記のように私が残業することで家族が被る不利益と、その対価として支払われる金額が釣り合っているかどうかは、おそらく人それぞれの価値観によって見方が変わるであろう。私としても別に、そのこと自体にどうこうと言いたいわけではない。

 

私がこのことを通じて今回書こうと思ったことは、人はこのように“時間とお金を交換しながら生きている”ということについてだ。

 

私のように会社勤めをしている人はもちろんそうだし、ブログ執筆で生計を立てている人も、記事を書く時間(と労力)をお金に換えていると言えるだろう。

 

もしかすると資産運用などにより、何もしなくてもお金が増えていくシステムをもっている人もいるのだろうが、その人たちもきっとそこに至るまでに、相当な時間を先行投資として費やしたに違いない。

 

もちろん、妻のような専業主婦においても同様だ。

 

彼女らは一見して、家事によって対価となるお金を生み出していないようにも見える。しかし、その家事運用があるからこそ夫が外で働けているわけなので、その給料は実は二人で生み出しているということになる。つまり昨日の残業代でいえば、半分の5千円は妻の家事労働に対するお金だと言えるのだ。

 

そして育児に対してもある意味そうだ。

 

もちろんプライスレスな領域が多いのだが、ここでは敢えてお金に関するところだけをみてみると、保育園にいれて世話してもらえば(外注すれば)お金がかかるところを、自分たちでまかなう(内製化する)ことで、その分の支出を抑えているということになる。つまりこちらは収入面ではなく、支出抑制の面で貢献しているのだ。

 

そのように、ほとんどの大人達には日々“時間をお金に変える生活”を送っている。そしてだからこそ考えたいのは、そのバランスについてだ。

 

お金のために生活するのか?おそらく違うであろう。生活をするためにお金が必要なのだ。しかし、お金があれば生活が潤う。ただ生活をするだけでは味わえないプラスアルファの贅沢(たとえば海外旅行や豪華ディナー)をすることができるのも事実だ。ここにバランスの肝があるように思う。

 

ただ生活を送るだけなら、生きていくだけなら、仕事(時間をお金に換える行為)は最低限すればよいだろう。しかしそれはそれで、なんだか味気ないのも正直なところだ。

 

だからといって、とにかくお金を稼ぐために、家族との時間を犠牲にしてまで仕事に没頭する、プライベートな時間も資産運用や投資等に費やす、というのも本末転倒に思えてならない。そのお金が“幸せな生活”の為だという本来の目的を見失ってしまっているからだ。

 

だからこそ、その両者の間でバランスを保つことが重要なんだと思う。そしておそらくそのバランスは、人によって、その家族によって、考え方が異なるであろう。

 

公園で遊ぶようなささやかな遊びの中にも喜びを見いだせる家族もいれば、海外旅行など派手な遊び方をしなければ幸福感が味わえないという家族もいるだろう。それゆえに、そこは家族全員でしっかりと、意識を合わせるべきではないかと思う。

 

自分たちは何をもって“幸せな生活”と感じるのだろうか。また、その生活を送るにはどれくらいのお金が必要だろうか。そしてそのお金を得るためには、どれくらいの時間を日々労働に費やすことが必要だろうか。ということを、改めて考えてみるのも良いかもしれない。

 

時は金なり。昔の人はよく言ったものだ。本当にそのとおりだと思う。その事実からは、おそらく全ての人が目を背けることができない。

 

更にいえば、時は有限であり、時は生活の基盤であり、その生活は幸せの礎である。そのことをしっかりと噛みしめて、日々時間を過ごしていきたいなと思う。

 

そして私は今日もまた、家族の元を離れ“時間”を“お金”に変えに行く。

 

その先に、家族との幸せな生活があるということを信じて。