いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

家族の色

昨日は会社の同期4家族でランチを食べた。その同期らは入社以来仲の良いメンバで、これまでも何度となくそれぞれの家族を呼んで交流をしてきた。

 

初めは恋人として紹介されたパートナー達も、今ではみんな結婚し妻となった。そして私たちを含む2組の夫婦においては子供が生まれ、その子供達もこの会の一員となった。

 

リーダー格の同期の声かけにより不定期で開催されるこの会は、いつだって楽しい。それぞれの奥さん同士も会うたび仲良くなっており、おそらくもう少し大きくなれば子供たちも仲良く遊びだすのであろう。

 

それぞれの部署における仕事の話はもちろん、結婚式の振り返りや新婚旅行の話、引っ越し予定から今後のライフプランまで、久しぶりの集まりとなったため会話は弾みに弾んだ。

 

たくさんの笑い声を生みだした後、昨日の会は解散となった。家に帰り着くとメンバのひとりが、持参していたカメラで撮った写真をライングループにて共有してくれた。いずれもメンバの笑顔が上手に切り取られており、それを見ていると、さっきまでの楽しかった情景が鮮やかによみがえってきた。

 

そんな写真を妻と見ながら、どの家族もそれぞれ“家族の色”がでてきたよね、という話をした。

 

確かに、もしも私たちのことを全く知らない人がこの集合写真を見たとしても、どの人とどの人が夫婦なのかが、ぴたりと当てられるのではないだろうか。

 

それほどまでに、写真に写る夫婦4組は、それぞれに夫婦固有の空気感を醸し出していた。

 

似たもの同士が夫婦になったのか、夫婦になってから似てきたのか。きっとその両方なのだろう。私の目から見ると、それぞれの夫婦はどれも入れ替えが考えられないくらい、お似合いな組み合わせに映った。

 

私はこの会で他の家族と会うたびに、みんなそれぞれ幸せそうだなと感じる。そして私たち家族も、改めて幸せなんだなと実感することができる。

 

妻と話をしてみると、妻もどうやら同じ事を感じていたようだ。きっと他の家族も同じようなことを感じているのではないだろうか。

 

自分たち家族の幸せを実感できるのは、もしかしたらこんな風に、他の幸せそうな家族を見たときなのかもしれない。

 

そう思うと尚更、この家族会が今後いつまでも続いて欲しいなと思った。お互いの幸せを確認し、自分たちの幸せを実感し、みんなの幸せを更に大きくするために。

 

そんなことを思いながら、ふたたび昨日の写真を眺めていた。今日もまた、各自それぞれの場所で仕事をするのだ。

 

みんな家族のために一生懸命働くのだろうな。そう思うと、背筋がピンと伸びる思いがした。