いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

見ていてほしい、褒めてほしい

「まま、ぱぱ、みて」

 

娘はなにかにつけて、私たちにそう言う。ダンスを踊るとき、ご飯を食べるとき、歯磨きをするとき・・・。

 

彼女は私たちの視線が自分に集まったことを確認すると、得意げに実行に移すのだ。

 

たとえば食事のときは、スプーン1杯のご飯を口に入れようとするたびに私たちを呼ぶ。私たちがもう少し食べてほしいな、と思う食事終盤に多い。

 

私が「もう一口食べて」とスプーンを口の前まで持っていくと、娘はママに見ててと告げ、もったいぶりながら口に入れる。娘は「たくさん食べてえらいね」と私たちに褒めてもらいたいのだ。

 

踊るときもそう。教育テレビを見ながらいつも元気よく踊っているのだが、自分の得意な踊り(もしくは以前、褒められた踊り)の曲になると、私たちを呼ぶ。

 

そして見ててと言い、得意げに踊り始める。途中、ちらちらと私たちの方を盗み見、もしスマホでも触っていようものなら、踊りを止め「まま、みて」と注意する。

 

とにかく、娘は私たちに見ていてほしい、そして褒めてほしいのだ。

 

私と妻はそんな娘の意を汲み、良いことをしたときにはたくさん褒めてあげる。得意げな顔でご飯を食べたり、踊ったりしたときには「すごいね~、えらいね~」と少し大げさなまでに。

 

私はそのときの娘の「でへへ」という嬉しそうな顔が大好きだ。褒められたいと思って、一生懸命なにかをやって、結果褒められることができた。一種の成功体験ではないだろうか。

 

また、娘は直接見てもらえなかったときには、後から報告もしてくれる。歯磨きが終わった後、私と一緒に洗面所にいってうがいと手洗いをするのだが、そのときは終わるとすぐにママのところに報告に行く。

 

「○○ちゃん、ぐぅぐぅぺ、した」

 

「○○ちゃん、て、じゃーじゃー、した」

 

ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を徹底している。サラリーマンの必須マナーを既に習得しているわけだ。

 

そんな娘を見ていると、評価される(褒められる)ためには、しっかりとしたアピールが必要なんだな、ということを改めて教えてもらえているような気持ちになる。

 

きっと教育の仕方はいろいろあるのだろう。

 

当たり前のことをして褒めるのではなく、いけないことをしたときにのみ叱る、という方法もあるのではないかと思っている。

 

褒めて育てるというのは、もしかしたら単なる甘やかしではないかという見方もあるのだろう。

 

でも私としては、どちらかといえば「叱られるからこれはやらない」ではなく「褒められるからこれをやる」という考え方を、自分の娘には持ってもらいたい。

 

褒められる気持ちよさを知ったら、きっと褒められないダメなことは積極的にしなくなるのではないだろうか。

 

もしそうであれば「叱られる」というストレスだけを与えるより、「褒められる」という快感を多く与えた方が、精神衛生上も良いような気がしている。(もちろん必要なときには叱らないといけないのだけど)

 

なので私は、これからも娘のことはたくさん褒めてあげたいと思っている。そのために、いつでも娘のことを見ていてあげたい。