いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ぜんぜんだいじょうぶ

娘のアレルギー検査の結果が返ってきた。

 

定期的に肌に発疹がでるので、念のため血液検査をしていたのだ。結果は問題なし。強いて言えば、生の卵白には注意するよう言われたくらいだ。

 

今後の治療については、発疹がでるたびにこれまで使っていた薬を塗るよう指示を受けた。早く治してあげたいなと思っている。

 

ちなみに前回病院に行った際には、検査のため娘の血液を抜いた。妻の話では大泣きしたらしい。肘の裏側に注射針を刺すのだが、一回でうまく採血できなかった為、両腕に注射を刺されることになってしまった。

 

その日の夜、一緒にお風呂に入っていると、注射箇所には痛々しい青痣のようなものができていた。大人が見てもギョッとするような痕で、娘も心配そうに何度もその部分を確認していた。

 

「大丈夫、全然大丈夫だよ」

 

私は内心では心配しながらも気丈に振る舞い、彼女にそう伝えた。彼女はそれを聞くと少し表情を明るくし、自分に言い聞かすようにその言葉を繰り返していた。

 

今では両腕の痣はすっかり無くなった。しかし娘は今でもお風呂に入るたび、自分の両腕を顔の前に並べては肘の裏を確認し、おまじないのように呟いている。

 

「だいじょうぶ、ぜんぜんだいじょうぶ」

 

私はそれを聞くたび、可愛いなと思うと同時に、それだけ怖くて、痛くて、不安だったんだなと不憫になり、少しだけ泣きたい気持ちになるのであった。

 

それにしても、こんなに娘に連呼されるようになるなら、こんな俗語的な文法ではなく、正しい表現を教えればよかったなと少し後悔。(“全然”の使い方について)

 

改めて、自分の言葉使いには気をつけなければならないなと思った。

 

ただ、私が不安や心配に駆られた時、娘がこの言葉で励ましてくれたとしたら。

 

私はそれこそ、本当に泣きそうになりながらもあの青痣の事を思い出し、何にだって立ち向かって行けそうな気がしている。