いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

手作りクッキーとチョコレート

妻と娘が手作りクッキーをくれた。

 

帰宅後、可愛い包みを手渡される。妻から事前に予告はされていたが、実際に貰うとやはり嬉しいものだ。

 

手作り感あふれる生地の上に、娘が書いたのだろうカラフルな模様が描かれている。画用紙にお絵描きする娘の姿が思い浮かび、微笑ましい気持ちになった。

 

その後、妻からは「はい、これ」「これも」と、次々と市販のチョコも渡された。手作りクッキーが上手くいかなかった時の保険だったらしい。そういうリスク管理までしているところに、小さな感動を覚えた。
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ただ、よくよく見ると、前々から食べてみたいと妻が言っていたチョコも含まれていることに気づき、なるほど、私は最初の一口しか食べられないかもしれない、と秘かに覚悟を決めた。

 

妻にとっては大義名分の元でチョコが買える日、というわけだ。まぁ、それでも私としては嬉しいことに違いはないのだけど。

 

私は夕食を食べた後、可愛らしい包みを開け、まずは手作りクッキーを食べた。予想以上に美味しくて、何度も娘にお礼を言った。

 

ただ、クッキーを食べきるとお腹がいっぱいになったので、残りのチョコたちは明日以降に食べることにした。しかし、妻に「どうしても一口だけチョコが食べたい」とせがまれたので、仕方なく一つ開け妻に手渡した。

 

結局は、最初の一口すらも食べられなかったな、と心の中で思った。現実は常に予想を超えてくる。翌日仕事から帰ったら一つも残っていないという未来が浮かび、改めて覚悟の上塗りをしておいた。

 

さて、その後娘と遊んでいると、途中で妻がクッキー作りの最中に撮った動画や写真を見せてくれた。ボウルで生地をかき混ぜ、めん棒で生地を伸ばし、チューブを絞ってデコレーションする娘の姿を見ることができた。

 

想像していたよりも、しっかりとクッキー作りをしている。完成品を見たとき以上の感動が私を襲った。2歳にもなるとこんなことができるんだな、と感慨に耽るばかりだった。現実は常に予想を超えてくる。

 

そしてなにより、一番すごくて感謝すべきなのは妻だろう。自分でつくるだけでも大変なのに、娘を一緒に参加させ、それを動画や写真にまで収めて。その総合的なプロデュース力に感動を覚えた。

 

これはホワイトデーには相当のお返しをしなければなるまい。娘も含め、なにか喜ぶものを買ってあげよう。

 

さて今朝、朝食を食べるために冷蔵庫を開けた。そしてこれで見納めになるかもしれないチョコ達を眺め、せめてひとつくらいは残っててくれよ、と思いを込めた。

 

しかし、現実は常に予想を超えてくる。

 

もしかしたら、箱の中は既にからっぽなのかもしれない。もしくは、帰ったら逆に箱が増えてたりして・・。