いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ぼくっ娘

最近、娘が自分のことを「ぼく」と呼ぶことがある。

 

まだ頻度としては少なく、その都度「わたし、だよ」と訂正しているが、定着してしまわないか少し心配だ。

 

思えば、彼女が好きなキャラクターは「ぼく」が多い。

 

「ぼく、アンパンマン

「ぼく、しまじろう」

「ぼ〜くドラえもん

「ぼくは機関車トーマス

「ぼくはチャーリーブラウン」

 

これだけ例があれば、自分を指す一人称の言葉を「ぼく」だと認識してもおかしくはないだろう。思えば、一人称に結構なバリエーションがあるのも日本語くらいではないか。英語でいえば男でも女でも「I」だし。

 

別に日本でも女が「ぼく」を使って悪いことはないのだが、それでもまずは娘には、オーソドックスに「わたし」を覚えさせてあげたいなと思っている。

 

それにしても、娘に訂正させるのは難しい。別に言葉の用法を間違っているわけではないので、娘からしたら、なんで変えなきゃいけないのかが理解できないだろう。

 

チャーリーもトーマスも「ぼく」って言ってるじゃない。なのに、なんでぼくは「ぼく」って言っちゃあいけないの?きっとそんな感情だろう。

 

しっかりとわかってもらうには、男と女の違いを理解してもらう必要がある。それこそ難しい話だ。

 

とはいえ、娘も徐々にわかっていってくれるはずだ。そんな楽観的な期待を抱きつつ、しばらくは、その都度訂正していくことを続けていこうと思う。

 

そしてその間は、おそらく貴重になるであろう娘の「ぼくっ娘」期間を、秘かに楽しもうと思っている。やっぱり、萌えてしまうほど可愛いのは間違いないので。