いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

トムとジェリー

最近、トムとジェリーを毎日のように観ている。

 

マンションに引かれたケーブルテレビで放送があり、それを録画したものが我がテレビのハードディスクにたくさん溜まっているのだ。

 

娘はことあるごとにそれを観たがる。ご飯を食べるとき、食べ終わったとき。お風呂に入る前、入った後。いつも「とむとじぇりー、みたーい」と、それこそアニメのように大きな口を開け、主張してくるのであった。

 

そんなわけで私も一緒になって観ているのだが、これがまぁ面白い。調べてみると1940年から続いているアニメらしい。今観ているものは映像も古いので、それこそ初期の作品なのだろう。実に驚くべきことだ。

 

基本的に、鼠のジェリーが猫のトムにちょっかいを出し、ドタバタの追いかけっこが繰り広げられた末、最期にはジェリーがトムを出し抜く、というパターンが多い。しかしそのワンパターンにも様々なバリエーションが盛り込まれ、いつまででも観ていられるのである。

 

とにかく痛快だ。トムのやられっぷりが見事で、そのアニメでの表現方法も実に秀逸だ。“アニメならではの表現”のほとんどを、このアニメでやり尽くしているのでは無いか、そんな風にすら感じる。以降のアニメたちに、多大なる影響を与えていることだろう。

 

本来は弱い立場のはずの鼠が猫を終始翻弄する、という構図が観ていて愉快だ。最近私がWeb学習で習ったばかりの『判官贔屓』の心理が働いているのだと思う。

 

そして何話も続けて観ていくと、毎回やられっぱなしのトムに同情心を抱いてくる。結果、トムとジェリー両方のキャラクターを好きになり、どちらも応援したくなるのだ。これほど理想的な主人公たちはいないだろう。

 

昨日は娘と一緒に、6話ほど続けざまに観てしまった。1話1話がこれまた絶妙な長さなので、ついついあと1話、あと1話と連続して観てしまうのだ。

 

何度観ても面白いので、永久保存しておこう。子供から大人まで楽しめる、本当に偉大なアニメだ。