いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

戦略なくして戦術のみ

昨日、会社である気付きを得たので書き留めておく。

 

自身の備忘の為、将来の自分に対する戒めも込めて。

 

その気付きは、いつも仕事に追われている先輩と同じ打合せにでているときに得られた。それまで漠然と感じていたことを、言葉として理解できた感覚があったのだ。

 

この人は戦略なしで戦術のみで仕事をしている。

 

端的に言えば、仕事においてパワーをかける箇所が異なるのだ。もちろんそれは私と比べてということなので、どちらが正しいと断言できるものではない。ただ、合理的に考えれば、私の考えの方に分があるように思う。

 

例えば10の案件が身に降りかかってきたとする。先輩はそれを面倒くさがりながらも引き受け、1つ1つに戦術を立て遂行していこうとする。ある意味ではサラリーマンの鏡だ。そしてその泥臭い姿勢は、時に「苦労している、頑張っている」と評価される場合もある。

 

しかし私の場合は、まずはその10の案件を受けるにあたり、戦略を立てる。戦略とは、その字のごとく「戦い」を「略す」ことだ。つまりは最大限、戦わずとも解決できる方法を模索することに他ならない。

 

時にはロジカルなストーリーをつくり、対応不要と社内整理を図る。または、しかるべき理由で動機付けし、他組織と役割を分担させる。あるいは道筋だけをつくり、単純な作業にまで落とした上で、他の人に振り分ける。

 

それにより、10案件のうち本当に略せない、重要な2案件のみに、集中できる状況をつくりあげるのだ。

 

このように最初の戦略立てに最も力を入れることで、それ以降のフェーズでも最大限の力を発揮できる。

 

先の例では先輩の場合、10案件すべてに戦術を立て同時に遂行しなければならないが、私の場合は2案件のみの戦術にしっかりと時間が割ける。それによって、スピードとクオリティに自ずと差がでてくるのだ。

 

先にも書いたが、これは別に先輩批判でもないし、自分の仕事のやり方が正しいと言っているわけではない。

 

ただ、いつか自分にも仕事が上手く回せない、そう感じる状況がくるかもしれない。そのときに向け、現在における手応えのあるやり方を、この気付きを、しっかりと書き記しておきたいだけなのだ。

 

そして戦術に追われると、だんだんと戦略を考える余裕もなくなってくる。わかりやすいほどの悪循環だ。

 

とにかく戦略に、戦いを略すことに最も重点を置く。これからも私はそれを続けていきたいなと思っている。

 

当然だが、面倒くさい仕事を他人に押しつける、というものとは別物なので、その点は誤解の無きよう。そんなことをやると人からの信頼を失い、それこそ仕事が回せないという悪循環に陥ることになるだろう。

 

そして当たり前だが、先の先輩とは仲も良いので、私が気づいた時には「この案件はこう進めませんか?」と必ず提案するようにしている。

 

そんなとき先輩は「なるほど!」と言い、後輩からの意見を心良く受け入れてくれる。その懐の深さには心から敬意を抱いているし、私も見習いたいと思っている。