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文学パパが綴るかけがえのない日常

騎士団長殺し

村上春樹の『騎士団長殺し』を読了した。
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村上春樹は大好きな作家だが、比較的早くに文庫化するので、新刊は文庫になってから買うようにしている。

 

無理にハードカバーで買わなくても文庫化している過去作品はたくさんあるのだ、そちらを先に読めば良い。そんなことを考え読み漁っているうちに、今ではほとんどの作品を読破してしまった。

 

さて、そんな村上春樹の最新作。評価は分かれているようだ。良くも悪くも村上春樹。そんな書評もいくつか目にした。自身で過去の作品をなぞり書きしているだけ、そんなことさえ言われていた。

 

そしてこのたび文庫化され、実際に読んでみた。確かに書評家の人達が言いたいこともわかる。村上ワールド全開で、これまでも登場したことのある要素が総動員されているような印象を受けた。

 

しかし村上春樹の作品において、語るべき対象は物語ではない。そのことは本人も繰り返し語ってきた。所詮ひとりの人間から生まれる物語の種類には限りがある。進化し、磨かれていくべきものはその文章なのだ、と。

 

そう、村上作品は文章を味わってこそなのだ。文章フェチの私からしたら、これほどのご馳走はない。

 

そしてそのように意識し味わってみると、確かに前作と比べても文章が変化していることに気づく。文章全体の角がとれ、更に一段と読みやすくなっているのだ。

 

また、今作では久しぶりに一人称で書かれているのも注目点だ。初期の長編作品はすべて一人称で書いていた村上は、自分の文体を意識して作り替えようと、あるときから三人称での書き方を取り入れていく。

 

そして再び今作では一人称に戻った。しかし同じ一人称でも、以前とは比べられないほどに、繊細かつ深淵な世界を、自由自在に描いているのだ。

 

一人称はひとりの視点から物語が語られるので、当然その世界は限定的になる。しかし、今作ではその世界の狭さを少しも感じさせないのだ。今の彼なら一人称でどんな世界でも描けてしまうのではないか、そんな風にさえ感じてしまった。

 

平易な言葉でわかりやすく、それでいて気の利いた比喩が散りばめられ、なによりリズミカルで心地良い。

 

読んでいて惚れ惚れしてしまう文章だ。そして以前にも増して、ベテランとしての余裕と風格も感じ取れた。文章を書く上での“力み”を全く感じさせないのだ。

 

そして過去作の使い回しと言われた物語も、私からしてみればとても楽しめた。ぐいぐいと引き込まれ、ページを捲る手が止められなくなることもしばしばだった。

 

文庫本は2冊ずつ、1ヶ月の間隔を開けて発売されたので、読んでいる途中で間を開けすぎないよう、読むスピードをコントロールするのに苦労した。

 

謎の穴が開いて、不思議な世界に入り込み、そこから戻ると大切な何かを取り戻す。確かにそれはこれまでの村上作品でもお馴染みの展開だ。

 

ただ今作ではラストがほんのりと心温まるハッピーエンドとなっている。その点が、なんだか新鮮で良かった。

 

とにかく今作も私はとても気に入った。4冊の文庫本を読み、その量に見合うしっかりとした満足感が得られた。次の新作は果たしていつ読めるのだろうか。

 

これからもまだまだ長生きして、進化し続ける魅力的な文章を読ませてもらいたい。今作もご馳走さまでした。