いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

豆乳ラヴァ

コップに乳白色の液体を注ぐ。

 

ここのところ毎日飲んでいる無調整豆乳だ。健康にいいからと母親に勧められて以来、自分でも驚くほどに嵌まってしまった。

 

キャップを閉め、パックを冷蔵庫へと戻す。またすぐに取り出し2杯目を注ぐことになるのに、それでも一旦は戻しておく。豆乳は冷え具合が大切なのだ。

 

ちょっとでも温いと、せっかくの美味しさが損なわれてしまう。空気に触れ過ぎるのも厳禁。しっかりとキャップを閉めておくことが肝要だ。

 

私は改めてコップと対峙する。勢いよく注いだせいか、表面にはいくつかの気泡が浮かんでいる。縁に口をつけ傾けると、どろりとした液体が舌の上に流れてきた。飲み終わると、まるで舌がコーティングされたような感覚が残る。少し遅れて、仄かな後味が鼻から抜けていく。

 

案の定、私は冷蔵庫を開き、ふたたび豆乳をコップに注いだ。こうやって1パックをわずか2日ほどで空けてしまう。このパックももう無くなりそうだ。またスーパーへ行って、買ってこなければなるまい。

 

そんなことを考えながら、またも一口のうちに飲み干した。うまい。実にうまい。前までは“調整”しか飲まなかったが、飲み始めてみると“無調整”もなかなか悪くない。なにより、いかにも健康そうで、体調が良くなったとさえ錯覚させられる。まさにプラシーボ効果だ。

 

ふたたび冷蔵庫の取っ手を握ったが、妻が腕組みで睨む顔が浮かび、その手を離した。また風呂上がりにも飲むのだろうし、今回は2杯だけに留めておこう。どんなに身体に良いものだって、飲み過ぎてはいけない。出費を抑える為にも大切に飲まなければ。

 

さりとて、豆乳とはなんとも愛おしいものか。いくら飲んでも飽き足らないその所以は、主張を抑えたあの慎ましい味わいにあるのだろうか。人間も、かくの如くありたいものである。嗚呼、豆乳よ。白き神秘よ。

 

やっぱり、もう1杯だけ飲んでもよかろうか?