いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

like a サウナ

サウナのように蒸し暑かった。

 

昨日、仕事後に行ったフットサルコートのことだ。半室内で屋根があり、側面は野外に大っぴらになっているのだが、構造上の問題なのか一切風が入ってこなかった。

 

灼熱地獄のようだ、とも思ったのだが、地獄になんて行ったことないし今後も行く予定はないので、いい加減な比喩は使わないことにした。そんなわけで、サウナの中で2時間フットサルをした。

 

最初は「気をつけないと倒れるかもね」なんて、笑いながらメンバと話していたのだが、2ゲームくらいこなした後は「死」という言葉が頭をよぎった。もはや笑い事ではなかった。私はいつも以上に休憩を多くとりながら、ギリギリのところで正気を保っていた。

 

そんな状態だったので、昨日はプレーすることより、他の人のプレーをみることに重きをおいていた。改めて観察してみると、気づくことが多い。

 

その中でも印象に残ったのは、ミスにも質があるということだ。例えばパスミスをした際でも、①思ったところにボールが蹴られなかったというミスと、②そもそも蹴ろうとした先の選択を誤ったというミスがあると思う。

 

たぶん多くの人が①のミスだと捉えて悔やむ。ただ実際は②でミスを犯しているケースが大半なのだ。ミスをした本人は、次はしっかり蹴ろうと反省はするのだが、そもそもそこに蹴ろうとしたことに対しては反省が及ばない。それゆえに、ミスの本質はいつまでたっても改善されず、プレーの質も上がらないわけなのだ。

 

こういうのを防ぐために、プロの選手たちは自分たちのプレーを撮影して振り返るということをしているのだろう。そしてこれは、仕事においても一緒だなと感じた。

 

仕事でなにかミスをしたとき、計画していたとおりに進められなかったミスなのか、そもそもの計画の立て方やアプローチ時点でミスだったのかは、冷静に見極めた上で反省しなければならない。そうしないと、いつまでたっても本質部分での成長はないのではないだろうか。

 

したたる汗をぬぐいながら、昨夜はそんなことを考え、フットサルを見ていた。死人がでないで本当によかった。身を守るためにも、夏の間は参加を控えようかな。