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潮騒

三島由紀夫の『潮騒』を読み終わった。
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私にとって初となる三島小説だ。彼の文章には既に魅了されているが、そんな彼がどんな物語を書くのかに興味があった。どの作品から読むかは散々迷ったが、読書をしない妻でさえそのタイトルを知っていたという理由で、この代表作のひとつから読むことにした。

 

結論から言えば、期待通りに面白かった。物語においてもその妖艶なる文章は冴え渡っており、芸術作品と呼ぶに相応しいだけの気品と、65年前に書かれたとは思えないほどの読みやすさを兼ね備えていた。

 

ただ意外にも、物語構成はあまりに古典的で、その素直すぎる展開には少々驚かされた。静かにはじまり、徐々に登場人物たちが動き出し、展開に必要なエピソードが描かれる。終盤ではそれらが絡み合い、最後には仄かに予想していた通りのハッピーエンドが描かれるのだ。

 

若い二人の純愛ものだが、巻末の解説を読むと、三島がこれほどストレートな筋立てにするのは珍しいらしい。数ある三島作品の中でも、特異な作品だと言うのだ。もしかしたら、最初に読むべき作品としては相応しくなかったかもしれない。

 

そして解説では、三島が物語の「構成」に対して強い拘りをもっていると書かれていた。たしかに本作でも、その無駄のない構成には美しさを感じさせられる。

 

ただ、あまりにも綺麗な流れゆえ、後半は結末が予想できたし、更にはその計算が透けて見えたので、その点については少し訝しく思っていた。なんだか賢い人がいかにも書きそうな、理屈っぽい構成に思えたのだ。

 

しかし解説を読むと、これにも理由があったらしい。どうやらこの作品は、古代ギリシャ時代のとある有名な小説を下敷きにしており、三島はその筋立てや道具立てを忠実になぞった上で、現代版の物語を描くという文学的挑戦に試みているそうなのだ。

 

どうりで展開があまりに古典的で、昔話じみた古風な趣きを帯びていたわけだ。私は得心がいく思いだった。これにより、「三島がどんな物語を書くのか」という確認については、次の作品を読むまでのお預けとなった。

 

ちなみに、最後の1文について意味深に捉えている読者もいるようだ。たしかに、読み方によってはシニカルな含みをそこに見いだすことができる。しかし、私はあくまで余韻を残すための描写として素直に読んだ。習字の書き終わりにおけるキレの良い「はね」のような。

 

引き続き、三島作品をまだまだ読んでいきたい。

 

ただ、これで三島作品はエッセイ2冊を経てこの本で連続3冊目。頭が凝り固まってはいけないので、ここらで一度休憩をはさみ、別の作家の本も読みたいと思う。