ポール・オースターの『幻影の書』を再読した。
この本はハードカバーで所有しているので、なかなか読み返しにくいのだが、ここ最近、会社では文庫本を、家ではハードカバーを読むスタイルが定着してきたので、この作品もその流れで読み返すことになった。
ポール・オースターは大好きな作家なので、日本語訳された小説に関してはそのすべてを所有している。その中で一番好きな作品はどれかと問われるのは、私にとっては難しい問いなのだが、少なくともこの『幻影の書』は上位にランクインされると思っている。
この作品の何がよいかというと、まず単純にストーリーが面白い。妻と二人の子供を事故でなくした失意の主人公、そこに1通の手紙が届くところから物語は始まる。
その手紙の主は、数十年前に謎の失踪を遂げた映画俳優の妻を名乗る人物だった。彼女は言う。主人が貴方に会いたがっていると。なんとも心掴まれる導入だろう。
そこから物語は様々な起伏をつくりながらクライマックスまで流れていく。途中、1本の映画を最初から最後まで描写する場面がでてくるのだが、それがまた圧巻だ。文章だけで、映像がありありと浮かんでくるのである。
また終盤、物語にある程度の落ちが付きそうになったところで、にわかに大きな展開が出現する。収まりかけたところに話が収まらず、残り少ないページ数でどうこの物語をまとめ上げるのかと、読者の方がそわそわとさせられてしまうのだ。
そして、短い最終章においてもすんなりとは終わらせない。主人公の考察による“物語の真相”とも思える有力な仮説が添えられ、幕が降ろされるのである。映画を題材にしている小説だけあって、なんとも映画的で鮮やかな幕の引き方だろうか。改めて感動させられてしまった。
普段私は文学小説を『文章』を中心にして捉えることが多い。しかしオースターに関して言えば、その中心には『物語』がある。その物語を忠実に、効果的に、立ち上がらせる為に彼の『文章』は使われているのだ。確かに文章だけ切り出しても一級品には違いないが、魅力的な物語と相まってこそ、その真価を発揮するのだと思う。
オースターは初期作品の方が広く知れているが、中期以降に書かれた、老いた主人公の再生を描いた物語たちも面白い。というか私は歳をとるにつれどんどんそちらの方が好きになっている。初期作品もスリリングで楽しいのだけど、主人公の自業自得によって窮地に追い込まれる展開が多く、なかなか感情移入しづらくなってきた。
ちなみに、今回のようにタイトルに【愛読書】と付けたのは、これで3作品目となった。特に好きな、複数回読み返した作品達に印として付けているのだが、自分でも気づかなかった好きな作品の傾向が見えてきて面白い。
どうやら私は、『哀愁漂う男の生涯』を描いたような、そんな物語が好きらしい。私らしいなと思いつつも、自分というものを改めて知れたような気持ちになった。