いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

闇の中の男

ポール・オースターの『闇の中の男』を再読した。
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おそらくこれで本作を読むのは2度目だ。最近、家での読書はオースターのハードカバーばかりを読み返している。前回読んだのは発売されてすぐ(2014年)だということもあり、ストーリーは全く覚えていなかった。

 

冒頭から物語には薄暗い空気が漂っている。それもそのはず、この物語は事故により片足を悪くし、寝たきりの状態になっている老人が主人公なのだ。しかも数年前に妻に先立たれてしまい、現在家で一緒に暮らしているのは、夫に逃げられた娘と、恋人を亡くした孫娘だ。登場人物達はみな闇の住人ばかりなのである。

 

物語は作家であったその老人の語りによって展開されていく。彼は暗い過去を思い出さずに夜を越せるよう、懸命に頭の中で物語を紡いでいく。その舞台は、9.11が起きなかったアメリカだ。しかし話が大きな展開を迎えたところで、妄想の中のその主人公はあっけなく死んでしまう。そんなとき、現実世界の老人の寝室を、同じく不眠に悩まされている孫娘が訪ねてくるのであった。

 

彼女は老人に、亡き妻との思い出を語らせる。老人は求められるがままに、出会ったときのことから赤裸々に話し始める。恋に落ちて、結婚し、不倫により離婚する。その後互いに悲しい時代を乗り越えて、再婚するまでの話を一気に語り上げる。

 

その思い出話に呼応するように、孫娘もまた亡くなった元恋人のことを話し始める。老人は悲しみに暮れる彼女を少しでも慰めようと、即興で物語を拵え語り聞かせる。すると、孫娘は安心したように静かに眠りにつくのであった。老人は彼女の亡くなった恋人に思いを馳せる。彼は、戦争の真っ只中にあったイラクに赴き、そこでテロリスト達に拉致され、公開処刑されていたのだ。

 

彼の首が切り落とされ、目玉がくり抜かれるという残虐な映像を見た孫娘は、未だそのショックから立ち直れず、壊れた心を抱いたままとなっているのだった。

 

なんとも暗い話だろう。しかし物語を読み進めると、ラストの場面には、おぼろげながらに薄ぼんやりとした明かりが灯るように感じられる。「けったいな世界は転がっていくんだよ」。とある詩人の文を引用し、そう言い放つ主人公に、微かな希望を抱かされるのだった。

 

9.11を経験したアメリカ人が読むと、また違った感情を抱くのだろう。現にアメリカでは絶賛され、年間ベスト・ブックとまで称されたようだ。日本人の私はそこまでの感想を持てなかったが、大きな衝撃と、そこに秘められた静かなる怒りはひしひしと感じることができた。

 

相変わらず文章は巧みで読みやすく、それでいて深みある世界を作り出すその手腕には毎度のことながら感服させられた。次もまたオースター作品を読み返す予定だ。