いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

新幹線とサラリーマン

私は今、東京に向かっている。


朝から新幹線に乗り込み、鞄を降ろし、シートを少しだけ倒した。深めに腰掛けお茶を飲むと、新幹線がおもむろに発車した。


会社のEX-ICを使い新幹線に乗り、県外に出張に行く。そのたびに思うことだが、この瞬間が一番サラリーマンっぽさを“演出”できる気がする。今はクールビズなのでそれもできないのだが、座ると同時にネクタイでも緩めようものなら、更にサラリーマン度が上がるだろう。


テーブルを降ろし、そこにノートPCを乗せ、メール確認をする。そこまでくると、迸るサラリーマン度は留まるところをしらない。しかし私がテーブルに乗せたのはポメラであった。そこには仕事とは全く関係のない、このような駄文を書き連ねていく。


イヤホンからは毎週おなじみの深夜ラジオが流れ、それに反応してところどころで吹き出している。鞄の中にはこの往復で読み進めるつもりの厚い文庫本が入っており、これを書き終えたらさっそく読み始めるつもりだ。


さすがに「300円までよ」と先生から言われたオヤツまでは鞄に忍ばせていないが、気持ちはさながら遠足に向かう小学生である。(先生、バナナはオヤツですか?)

 

インドアな趣味を多く持っている私にとって、新幹線の移動時間は何をしようかと迷うほどに、キラキラと輝いたものに感じるのだった。(腰は痛くなるけども)


それでも私は気を引き締める。少なくとも外面だけは“いっぱしのサラリーマン風”を装わなければと。

 

そのため私はこのふざけた文章も、移動時間すら有効に使い報告書をまとめているようなイケてるサラリーマン風情の顔で書いている。こちらからの報告は以上、と。