いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

叱ること、褒めること

子供は日々変化する。そう書くと、誇張しているような気にもなるが、少なくとも二三日単位では変化がある。

 

GWや在宅勤務で、娘の一日を長期間見守るようになってからは、そのことをより強く実感している。うちの娘の場合は『叱ること』と『褒めること』によって、彼女の変化を促せるみたいだ。

 

叱ることによる変化では、ここ最近で食事が速くなった。所謂『夜ひとりで寝る刑』をちらつかせることが功を奏し、ご飯を食べる態度が飛躍的に改善されたのだ。

 

今でもちょこちょこ叱ることはあるのだが、前と比べると見違えるほどお利口に食べている。速く食べ終わることで、長く遊べることにもきっと気づいたのだろう。


褒めることによる変化では、お絵描きの上達がある。娘はおえかきボードでお絵描きをする。人物には目と鼻と口が、最近では手足と胴体が描かれるようになった。

 

アニメのキャラクターやテレビに映るものの描写もよくしている。そのたび私たちに見せてくれて、私たちは感動と称賛を口にする。もちろん少しは大げさに言っているわけだが、本当の驚きもそこには含まれている。

 

すると娘はどんどんと得意げになり、次々と新たなお絵描きにチャレンジしていく。それがまたお絵描きの上達を促す。なんとも理想的な好循環である。

 

私は彼女がもったいぶって絵を見せる仕草が好きだ。後ろ手にボードを持って、上目遣いで私を見上げるのだ。

 

「見せてよ」と私がお願いすると娘は、たんぽぽの綿毛が二三個だけふわっと舞いそうなくらいの鼻息を漏らし、しょうがないなあといった様子で、両手に掴んだボードを見せてくれるのであった。

 

お利口さんの娘を更に愛おしく思う。『天使の四歳』という通説は本当なのかもしれない。その年齢に近づくほどに、それを実感している今日この頃なのであった。