いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

違った可愛さ

もうすぐ4歳になる娘と、生まれたての息子。

 

やはりそれぞれの可愛さには違いがある。入院中の妻からは息子の動画が、実家のお義母さんからは娘の動画が随時送られてくる。おかげで毎日子ども達の姿が見られてとても幸せだ。

 

息子の方は、ただ眠り、おっぱいを飲む。当然言葉も発せない。それゆえ、言葉にはできない可愛さを纏っている。本能的な愛らしさというか、生物としての愛くるしさというか。とにかく、ぼーっと眺めていられる可愛さだ。

 

一方、娘は言葉を話すゆえの可愛さを纏っている。あどけないながらも一生懸命に自己表現する様がとてもいじらしい。昨日は三輪車を頑張ってこいでいた。積み木を積み上げては、その数を13まで数えていた。嬉しいときは満面の笑みを浮かべる。それが最高に可愛らしいのだ。

 

おかげで私は、一日に何度も「かわいい」とつぶやいては、「かわいい」と返信する。自身におけるボキャブラリーの貧弱さを嘆きたくなるものの、それ以上の言葉が見つけられない。

 

それぞれに同じ言葉を返しているが、それぞれの可愛さには前述のような違いがある。ただ、それは心で感じていればいいことだ。可愛さには様々なバリエーションがあるんだなあ、と。

 

ちなみに、二児のママとなった妻も、私にとっては変わらずに可愛い存在である。

 

彼女は健気で、生真面目で、愛らしい。基本的に弱気な彼女が頑張って前向きになろうとしている様は、見ていてとても応援したくなる。そんな彼女と話していると和むし、この可愛い存在を自分が守らなければ、という気持ちになる。

 

そんわけで、我が家は可愛い人たちばかりだ。それぞれに違った可愛さで、それぞれが愛おしい。