柴田元幸が編訳した『ブリティッシュ&アイリッシュ・マスターピース』を読了した。
自身への今年のクリスマスプレゼントとして購入した本だ。そのタイトルのとおり、英文学の名作短篇で編まれたアンソロジーである。
ここのところディケンズを続けて読んでおり、英文学への興味が湧いていた。そんなとき柴田氏が編んだこの短編集のことを思いだし、満を持して読んでみることにしたのだ。
前評判のとおり素晴らしい本であった。どの短篇も読み応えがあり、柴田氏の審美眼への信頼をより深いものにした。中でも“文章表現”の面で深く印象に残った作品が2作あった。
ひとつはW・W・ジェイコブスの『猿の手』だ。この作者はこの短篇だけがとりわけ有名らしい。が、解説でも書かれていたが、これほど見事な作品を生涯にひとつでも書けたのなら、作家として誇らしいだろうなと思ってしまう。
短篇小説として一切の無駄がなく、とても筋肉質な作品となっている。感銘を受けたのは、以下のような何気ない物語の運びの文章だ。
「猿の手?」とホワイト婦人が好奇心をそそられて言った。
「ま、いわゆる魔術というようなたぐいでして」と特務曹長はぶっきらぼうに言った。
三人の聞き手は熱心に身を乗り出した。訪問者はぼんやりと空のグラスを唇に持っていき、また下ろした。あるじが酒を注いでやった。
「見た目には」と特務曹長はポケットを探りながら言った。「何の変哲もない、ミイラみたいに干からびた手です」
そうしてポケットから何かを取り出し、皆に差し出した。ホワイト婦人は顔をしかめて身を引いたが、息子はそれを受け取って、興味深げに眺め回した。
情景がありありと浮かび、滞りなく展開が生まれ、必要最低限のことば数でその場に生まれる“間”までが正確に表現されている。物語の中で流れる時間と、読者が文章を辿る時間がまったく一致しているかのよう。本当に見事である。
もうひとつの感銘を受けた作品は、ジェームズ・ジョイスの『アラビー』だ。こちらは次のような比喩表現に心奪われた。
時おり彼女の名前が、自分でも理解できない奇妙な祈りの言葉、賛美の言葉に混じって口から飛びだしてきた。僕の目はしばしば涙に潤み(なぜかはわからなかった)、時には心臓からあふれ出てくる洪水が胸に流れ込んでいくように思えた。未来のことはほとんど考えなかった。いつかは彼女と口をきくことになるかどうかさえわからなかったし、口をきいたとしても、このこんがらがった崇拝の念をどう伝えればいいのかもわからなかった。けれど僕の体はハープのようであり、彼女の言葉やしぐさは弦から弦を伝う指だった。
片思いに駆られる少年の制御しがたい恋心を綴った文章だ。なんとも活き活きとしていて、その心情が手に取るように伝わってくる。
なんにせよ今年最後にとても良い本を読み終えた。姉妹本には米文学の名作で編まれたアンソロジーもあるので、いつか気持ちが昂ぶったときにでも、手に取り読んでみたいと思っている。