いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

職場に集まって仕事をする

ベルトコンベアの前に立たされている気分だ。

 

そこに乗って運ばれてくる仕事を日々一生懸命に捌いているのだけれど、いつも捌いた以上の量の仕事が次から次に運ばれてきてしまう。

 

今日も「本日中にここまでやろう」と朝思っていたところまではなんとかやり切ったものの、途中にあった打合せの中で超特大な仕事がまたもや降ってきた。しかもそれは一過性の仕事ではなく、今後もずっと付き纏う性質の仕事であった。

 

もうお腹いっぱいだ。あまりにやるべき事が多すぎて、もはや恐怖心も麻痺している。どれもこれもが破綻してもおかしくない。もはや無理ゲーと、誰しもが頭ではわかっているような状況なのだ。半分開き直っているので、精神的には喰らってはいない。

 

とはいえ、いつまでも仕事が片付かなく、またその目処さえ立っていない状況というのはスッキリとはしないものだ。ふとした瞬間に頭に不安がよぎり、それが慢性的なストレスとなる。

 

これが在宅勤務なら間違いなく潰れていただろう。職場に出て、同じように苦しんでいる同僚たちと話しながらにやれているから、なんとか日々を乗り切れているようなものである。

 

これまで私は完全に在宅勤務推奨派だったのだが、ここにきて職場に集まり仕事をする形態のメリットを感じ始めてしまっている。我ながら時代錯誤だ。

 

ただニューノーマルというのは、働くスタイルを状況によって適宜使い分けることなのかもしれない。