いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ジュエリーを買いたい

妻にジュエリーを買ってあげたい。

 

ここのところしばしば沸き上がっている感情である。原因ははっきりとしている。出社が増えたことで通勤という行為が発生し、その中で多くの女性とすれ違う機会が増えたということだ。

 

すれ違う人を目で追ったり気をとられたりする場面は少ない。もともと人間観察にふける気質ではないし(もし作家をめざすならばなんとも致命的だ)、ファッションへの関心も人並み以下である。

 

ただそんな私でもふと、すれ違う女性に目を惹かれるという場面がある。シックなビジネスコーデに身を包みながらも、首元や耳にワンポイント添えられた奥ゆかしいジュエリーがキラリと光る瞬間だ。

 

制約が多いであろうフォーマルな格好の中でも、均整を保ちつつも自分らしいオシャレをさりげなく取り入れたい。そんな慎ましくも健気な女性心がうかがえて、思わず心惹かれてしまうのであった。

 

私はそのたび、都会的なお出かけの際に妻が嬉々としてジュエリーを身につけている姿を思い浮かべる。そのアイテムは私がいつぞやの日にプレゼントしてあげたものたちである。

 

自分が選んであげたものが妻を心底喜ばせ、また美しく着飾ることにも貢献できるというのは、なんとも満足感の高いことである。

 

正直言って私自身はアクセサリーを身につける習慣はないのだが、妻と結婚し、女性にとってのそれがどんなに意味をもつことなのかが(外面的にも、そして多くの意義では内面的にも)、おぼろげながらも実感として理解できるまでには掴めてきた。

 

こんなちっぽけなものがこんなにも高価だなんて。昔は抱いていたそんな感情も、今ではすっかりなくなっている。むしろ女性の幸福感に長らく寄与することができるので、なんとコストパフォーマンスが高いものだろうかとさえ思っている節があるのだ。

 

コロナ渦で長いこと百貨店からは足が遠のいており、妻の大好きなショッピングができていないことへの同情心もある。また子供二人を相手に日々奮闘してくれている彼女に、目に見える形での感謝と勲章を贈呈したいという気持ちもつよいのだった。

 

今月は激務だったので残業代という名の臨時収入は膨れ上がっている。来月には結婚記念日もあることだし、近いうちに妻を百貨店に連れて行きたい。