いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

夏を迎えに

背中にこつんと何かがあたった。

 

前方を確認したのちに振り返ると、娘のつっぷした頭であった。夕陽でオレンジ色に空が染まるなか、私は娘を後ろに乗せ公園内を自転車で走っていた。

 

夕方にまでなると動けるほどには涼しくなる。そんなわけで娘と一緒に虫取りにきていた。カブトムシの成虫を狙っていたが、収穫はゼロ。それでも樹液に集まる他の虫や蝉たちはたくさん見つけられ、娘とふたりワイワイ盛り上がることはできた。

 

それにしても、子供のスイッチの切り替えは素早い。さっきまで自転車に乗らずに走ってついていきたい、と主張していた娘が、自転車に乗せて走り出すや否や、すぐに寝息を立て始めたのである。

 

娘の頭を背中で支えてあげながら、できるだけ振動がおきぬよう意識して自転車を走らせ続けた。ぬるい空気だったが自転車で風をきって走るのは気持ちがよい。夕焼け空、にじむ汗、沸き立つ樹木の香りが、ノスタルジーな気持ちを呼び寄せていた。

 

漂う哀愁だけをとると夏の終わりが訪れたかのようだったが、まだまだ夏ははじまったばかり。それどころか、私の夏休みははじまってすらいないのだ。

 

夏休みの終わりというと、小学生のときの家族旅行、その帰りの車における情景をいつも思い出す。そのときも窓からは夕焼け空が覗き、子供ながらにこれ以上ないほどの物寂しさを感じていたものだ。

 

ただもう一度言うが、まだ夏は終わっていない。始まってすらいない。残るあと一週間の仕事もなんとか乗り切って、早く本格的な夏を迎えに行きたい。